カバー㉒

今日はカバーとオリジナルの関係性について記事を書きたいと思います。

最大の違いは制作者の意図に対する「理解度」の差だと考えています。

もちろん制作者の意図を理解していたからといっていい作品になるとは限りません。

作品というものは公表した時点で、制作者の手から離れていくものですから。

ただ、オリジナルの場合は違うんですよ。

公開前にレコーディングしていますし、制作者の意図なりがはっきり表れやすくなります。

BONNIE PINKさんとJUJUさんの「Last Kiss」の違いもその点から生まれている部分が多い、というのが自分の考えです。

昨日BONNIE PINKさんの「Last Kiss」の歌が「ぶっきらぼう」という言い方をしましたが、恐らくこの歌い方は正解なんですよ。

それ位の方が歌詞の世界が見えてくる曲だと思います。

実際にはJUJUさんも他の曲と比べると「ぶっきらぼう」に歌っているイメージですが、やはりBONNIE PINKさんと比べると丁寧な印象です。やはり曲を理解しているからこそ、なのでしょうが、やはり「オリジナル」ではないから丁寧さが出てしまうんだと思います。

もちろん丁寧に歌う、ということが作品の世界観を壊す訳ではないですし、それも正解かもしれません。

ただ、オリジナルには制作者の「意志」が入っています。特に歌っている本人が制作者であれば、当然自分自身の感情といったようなものから完全に自由になることは難しいでしょう。

もちろん自分の曲を客観視することすることは重要なことですが、書いた以上離れられない部分というものもあります。

特にこの曲の場合、別れの無常観というものが強く表れているが故に、あまり丁寧に歌うと、その無常観が薄れ、未練がましい歌になりかねません。

心情的ストーカーとまでは言わないにしても、曲が重くなるように感じます。

それを「ぶっきらぼう」に歌うことで回避しようとしているように感じます。

でもカバーでこれをやるのは結構きついんですよ。

人の曲だと思うと、やはり丁寧に歌ってしまいがちになると思います。意識するかしないかは別の次元で。

やはりJUJUさんも丁寧に歌っているし、それもそれでいいのですが、個人的にはオリジナルのあの雰囲気の方が、やはりこの曲にはあっていると思います。

制作者としての優位性、といった感じでしょうか。

明日はもう少しこの点を掘り下げたいと思います。

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blue but green
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