作曲の方法論㊲

もう三が日も終わったので(と言いながら自分の場合、今日はまだ休んでますが)、このテーマに再度戻りたいと思います。

「方法」と「手段」の組み合わせの話で、残った組み合わせについて考えていきたいと思います。

「頭の中」で「コード先」というのはあまりないように思えます。やはり「コード」という概念自体が音楽史上は「新しい」ものなので、天才だったとしても、まだ人の頭はそこまで順応していないと思います。

無論「定番的なコード進行」が頭の中で聴こえてきて、そこから作品を制作する、ということはあると思いますが、それでは作曲とは言えないでしょう。

それは単なる「コード進行の流用」です。

少なくとも自分で制作している訳でないので、「作曲」ではありません。

そうなってくると、頭の中での作曲は「メロ先」か「オケ先」のどちらかになると考えています。

ただ、この辺は微妙なところで、「メロ先」だと「鼻歌」とどこが違うのか、という話になります。

ただ良く考えてみると、この2つは「似て非なるもの」のようにも思えるように感じてきました。

何が違うか、というと、意識の介在があるかどうか、という点です。「鼻歌」は無意識に出てくるものであり、独創的なものには成り得ないでしょう。

もちろんそこをベースにして作品を制作することは「可能」ですが、そうなると、その時点で「鼻歌」ではなく「メロ先」もしくは「オケ先」に移行してしまうと考えています。

少なくとも「鼻歌」を元に「作品」へと変化させるためには「思考」なり「試行」が必要になってきて、無意識のうちに出来る、という地点からは外れることになるだろう、と考えています。

そうなるともはや「鼻歌」は「契機」であるだけであり、「鼻歌」と呼ぶべき作品ではなくなるでしょう。

あくまでもきっかけが「鼻唄」なだけです。

「鼻歌」のままで「出来ちゃった」曲は「ドルチェ&ガッバーナ」の曲位でしょうが(笑)。

あれは「近代的自我」を持つ方には書けない(というか自分にはいくら聴いても単なる鼻歌にしか聴こえない)でしょうね。

あれだけはいくら売れたとしても書く気は起きないですね...。

一応自分、ミュージシャンなんで(笑)。



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