反省するということ①

今日は昨日の続きを書くつもりだったのですが、やめました。

リアルタイムではないのですが昨日カウントダウンTV見てたんですよ。

やはりあのバンドが席巻しているんですよね。

ある意味屈託のない笑顔。

ネイティブアメリカンの名誉を棄損したことなど無かったかのように。

でも、彼らだけが悪いのではないんですよね。

あの後「ファン」を自称する人達、反撃に出ましたよね。

まあ、歴史的な背景など何も分かっていないような言葉の羅列でした。

あそこまで弁解の余地のないMVを作ること自体が難しいのに。

たぶんここには一種の共犯関係があって、それが故に「反省のなさ」に繋がっている。

別に反省していればいいんですよ。存在自体が憎い訳ではありません。

罪を憎んで人を憎まず、ですから。

でも反省は難しい。

なぜ反省していないのか。

本当は反省しているのかもしれないのですが、反省って口で言ってすむものではない。

一言声明文を出して終わり、だから反省にならないんですよ。

本人達の気持ちの問題ではない。

実際にその後どういう行動をしたかにかかっている。

これは極論かもしれませんが、原子爆弾の開発に携わった人達、もちろん何の反省もしていない人もいますが、やはり酷く後悔した人達も多い。

その人達って、その後の行動にそれが生きているんですよ。

だから救いがある。

でも彼ら、あの後に何かしたのでしょうか。

反省文出して終わりなのでしょうか。

誰でも間違いは犯します。それが人の命を殺めるとかそういったことでなければ、その過ち自体を責めることに意味はない。

あくまでも、大切なのは「その後」です。

事後的にしか、その行動は評価されない。

でも、この世界、そんなことだらけです。

年末なのにこんな話書いてどうする、と思われるかもしれません。

でも年末かどうかなんてこういう話とは関係がない。

まあどこまで続くか分かりませんが、これからこのテーマで書いていきたいと思います。


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