ミュージシャンと聴き手との関係性⑦

今日はこの2日間とは逆のパターン、すなわち聴き手の聴きたいことをミュージシャンが行なうことについて書きます。

これってどうなの、と思われるかもしれません。

ただ、決して間違いとも言えないんですよ。

2日間書いたパターンはあくまでもプロダクトアウト的発想、今日書いているのはマーケットイン的発想だからです。

実際こちらの方が遥かに難しいですし。

売れているミュージシャンといえども、何故自分が売れているかを答えられる方は少ないでしょう。

分からないけれど売れている、というパターンが大半です。

というかあまり理由はないのかもしれませんし。

ただ、これを必死に考えている方もいます。

プロデューサーです。

やはりそれが自分自身の実績になる訳ですし、ミュージシャンとマーケットの架け橋的なことが求められる存在ですから、まあ当たり前と言えば当たり前。

当然ミュージシャンとしても活動しているプロデューサーも存在している訳で、そういう方の場合、自分で意識していなくても、やはり聴き手に対する感受性は強くなるでしょう。

もちろんプロデューサー毎に考え方は違っていますから、聴き手によるか、ミュージシャンによるかの差異は当然あります。

もちろんただ売れればいい、などと考えているプロデューサーはいないでしょう。

ただ、「売れる音楽」にもっていくことも仕事の一部ですから。

例えば小室哲哉さんの場合、まず「売れる音楽」が前提としてあった上で、そこに何を足していくか、ということを考えて制作しているように思えます。

それ位しないと「時代」は作れないでしょうから。

で同じような要素を全盛期の織田哲郎さんにも感じるんですよね。

二人とも音を聴いただけで分かります。

もちろんこれは批判ではありません。特に小室哲哉さんの場合、その上にどう個性を載せるかまで考えて作っているように感じます。

そこまでやれば、誰をプロデュースしても売れる訳ですよ。

自分自身がそう在りたいとは思いませんが(そんな実力もないし(笑))、やはり優れたプロデューサーであり、ミュージシャンなんだと思います。

で、そういうプロデユーサーがいれば、聴き手を明確に意識した音楽になる場合が多いのかと。

今では難しくなりつつある、というのは昨日書いた通りでもあるのですが…。

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blue but green
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