作曲の方法論㊴

今日は何故自分が「どの曲をとっても型にはまらず「どの曲も似ていない曲」を書こうとしているか」、について考えてみたいと思います。

例えば同じミュージシャンが同じような曲を書く、もちろん一定以上のクオリティは必要ですが、それをクリアしていたとしてもやはりそのような作り方では限界があります。「好きな人は好き」という音楽にしかなりません。所詮聴き手が拡がらないミュージシャンにしかならないんですよね。

アマだと嵌りやすいパターンです。「聴き手」の数がやはり少ないですから、「同じような曲」で「好きな人」を一定数集めれば「満足感」が得られてしまうものです。

前にある音楽系サイトにいた時もいましたね。そういう方。いまどき80年代のアニメソングに、メタル成分で味付けしたサウンドの曲ばかり作って人気のある方がいましたが、何がいいのかさっぱり分かりませんでした。

もうほとんど「セクト」に近いんじゃないですかね。目障りな人がいると根拠も無く叩きだす、裏では相当酷いことをやりながら、外面は良さげにしていて、取り巻き連中を作っているような方(笑)。

でも「外部」に出ると、所詮そこら辺の人レベルなんですよね。で同じような曲ばかり作るから他から人が寄ってこない。

そして結局「取り巻き連中」に喜ばれるような曲を書くから悪循環に陥る、「らしくない」曲を書くことも出来なくなり、ずっと似たような曲しか書けなくなる、ある意味悲惨ですね。完全な作り手と聴き手の共依存。

しかも「取り巻き連中」も音楽をやっているから、完全に閉じた世界に陥ってしまいます。

自分が音楽系のサイトを止め、ほぼ配信中心に変えたのもそんな関係がいいものとは思えないからです。

もちろんYouTubeもやってはいますが、それは相乗効果を狙ったものですからねえ。

実際にそこそこサブスクでも聴いてもらえるようになって来ましたし、ああいう世界から離れて本当に良かったと思います。

聴いてどう感じたか、とかどの位好きか、といった情報は全く得られません。分かるのは再生回数だけ...。

でもそれでいいと思うんですよ。確実に自分と関係のない方に自分の音楽が届いている、そうでなければ再生され続けることはないですからね。

その事が何より嬉しいんですよね。人間関係を抜きにしたところで自分の音楽が届いている、という実感が何より嬉しいです。

ただまだミュージシャンとして聴いてもらえてはいないんですよね。この曲はAmazon Music、あの曲はSpotifyみたいな感じで、曲毎に聴かれるサイトが違う(涙)。

そうすると同じような曲を書いた方がいいんじゃないか、他の曲も聴いてくれるのでは、という話にもなりかねませんが、多分それは違うと思っています。

まあサブスクの場合はプレイリスト入り出来るかどうかがポイント、という話もありますが...。

一度も聴かれなけれりゃ、拡がることはない、というのも悲しい実態で、英語曲はあまり聴かれていません(涙)。

ただ一定程度聴かれていれば、今は点と点でしかないものでも、続けていけば線になり、線が面になる可能性がありますから。

同じ所に点をいくら穿ったところで点のままです。

だからこそ自分は「似た曲」ばかり作るミュージシャンにはなりたくありません。

まあ「似た曲」を作る方たちは「狭い世界」で生きているから、些細な違いにばかり気持ちが行って、「今度の新曲はこれまでと違う作品になりました」って言うんですけどね(笑)。


ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。