和声⑫
いよいよ本題に入りたいと思います。
なぜモノフォニーが「和声」の世界の中に入っているか。
まず、現代の話から。
前にも書いた話なのですが、相当前にコードに関する知識が全くない方の曲をプロデュースしたことがあります。
で、もちろん旋律だけ、つまり「モノフォニー」です。
ただ、そのメロにコードを付けるとなると、どう考えてもよくありがちな循環コードしか付かない曲。
コードに関する知識がないのに、なぜこのような現象が起きるのか。
何度も書いている話ですが、世の中に完全な「オリジナル」など存在しません。
新しいものを作ることが出来るのは、それに先行する曲があるです。
どうしてもある種の模倣を含まざるを得ない。
で、やはり世の中にはやはり循環コードの曲、多いんですよ。
だからコード進行なんて知らなくても、よくある循環コードの曲自体は知っているから、どうしてもその影響が出てしまう。
で、逆に知識があればそこに「ひねり」を入れることも出来ますが、知識がない分ストレートに出てくる。
そうなると、実に簡単なコード進行の曲が出来上がる。
そういう曲だと、コード進行がシンプルな分、その和音の機能が明確になる。
だから「和声」に基づいた曲になってしまう。
作った本人には全くそういう意識はありませんが、やはり「和声」が成立した以上、どうしてもそういう曲しかありえなくなってしまう。
「和声」を崩すのにも「和声」を知らないと出来ない。で、知らない人は無意識に「和声」に準じた曲を作ることになる。
だから今モノフォニーを作ったとしても、並大抵の人は「和声」が裏にある曲を書くことになってしまう。
実際「和声」を壊した人たち(後期ロマン派以降)は「和声」を知っていて、「和声」に内在する要素から「和声」を壊した訳ですから。
では「和声」以前はどうだったのか、その点については明日記事にしたいと思います。