ミュージシャン⑤EL&P⑭まとめ
ずっとEL&Pのアルバムについて書いてきましたが、こうやって「書く」という行為、面白いものですね。
書くためには聴かなくてはいけないので、全曲きちんと聴いて書いている訳ではありませんが、やはり聴くんですよ。
そうすると、やはり「先入観」の強さに気付かされるんですよね。
「Love Beach」は元々いいアルバムだと思っていましたが、「Emerson, Lake & Powell」や「Black Moon」はそれほどいいアルバムだと思っていませんでした。もちろん「Works, Vol.2」よりはいいアルバムだとは思っていましたが(笑)。
でも聴いてみると結構いいアルバムなんですよ。
この2作の評判が悪いのは「変わった」からなんですよね。
ただそういうのって「宗教」と変わらないように思えます。崇める対象だから変わってはいけない、というようなものです。
音楽をやっている以上、変わっていくのは当たり前の話で、変わらないのは言ってみれば単なる「停滞」でしかない。
もちろんその変化が必ずしもいい方向に行くとは限らないし、作品が全てである、ということも確かです。
ただ、それが「イメージと違うから」良くない、というのはやはり違うと考えています。
ミュージシャンにとって確かに「イメージ」は大切かもしれません。ただやはりそれに縛られていては、自分の音楽に枷をはめるのと一緒です。
そういう意味ではEL&Pって変わることへの拘りが少ないように思えるんですよ。
日本だと「プログレ」って宗教みたいなものだから、そういう部分を許容出来ない雰囲気のようなものがあるように感じていて、だからこそこの国でのEL&Pの評価は低いんだと思います。
で、代表作が「展覧会の絵」になったりするじゃないですか。これじゃあ単なる権威主義でしょう。クラシックが偉い、みたいな。
まあプログレマニアもある意味似たようなものですが。プログレ指数的な感覚があって、その指数の高低で作品を語っている、というようなイメージです。
要は「プログレらしさ」が高ければいい作品、ということになっていて、作品の良し悪しは二の次、みたいなものです。
でもそれはミュージシャンと聴き手の「共犯関係」に近いものです。ミュージシャンが聴き手のイメージに合わせて作品を制作し、聴き手はやはりこのミュージシャンはいい、と思ってしまう。
でもその先には何もありません。
もちろんEL&Pがそんなことを考えて作品を制作していたとは思えませんが、少なくとも、プログレマニアのために作品を制作していた訳ではない、ということは言えると考えています。で無ければ、「Works」以降のアルバムが制作されることは無かったでしょう。
まあ契約の問題とか色々あったのかもしれませんが、少なくともそこからも「プログレ」的な要素は低くなっているものの、作品の質が落ちている訳ではないですから。
ただ、世間一般の評価は違うんですよね。「Tarkus」や「展覧会の絵」、「Brain Salad Surgery」の影をその後の作品に求めていて、それが評価基準になってしまっている。
ただEL&Pはそう言った「罠」に嵌まっていないように思えるんですね。
だからこそ変わっていくことが出来たんだと思います。世間からの評価は下がっても、変化し続けた。
これって結構きついことなんですよ。「終わったミュージシャン」のように思われるから。
でも多分そういうことを気にせず、割と好きなように作品を制作していたんでしょうね。
これが自分にとってEL&Pが好きな最大の理由かもしれません。
そう考えると名残り惜しいような気もしますが、もう書くべきことは全て書いたような気がするので、これでこの連載も終了したいと思います。
明日から、何を書こうかな。全く思い付かないから行き当たりばったりかな(笑)。
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