演奏が上手いということ④
歌の話ばかりで恐縮ですが、その内楽器演奏にも入るつもりです。
ただ流れもあるので、このまま話を続けたいと思います。
俳優の歌が上手いかどうか、ということを書いてきました。
まあぶっちゃけ、「歌の上手い人は上手いし、上手くない人は上手くない」と言ってしまえばそれまでです。
まあこれは俳優に限らず、一般的に当たり前の話でしょう。
ただこれだと話にならないし、「俳優の歌」に対する通念に対する回答にはなりません。
俳優は表現力があるから歌が上手いとか味がある、と言われることが多いのですが、まあある意味妥当でしょう。
もちろん、下手な人はどうやっても下手なので、一定の音感・リズム感があることを前提とした話なのでしょう。
でもいわゆる「歌手」に表現力がないのか、というとそれも違っているでしょう。
それでは商売として成り立ちませんから。
ただ確実に言えることがあります。
その「表現」自体が違うんですよ。
俳優は「演じる」存在です。例えば強烈な個性の持ち主は俳優にはあまり向いていない。
自分が前に出すぎると「役」ではなくなってしまいますから。
だから俳優の歌は表現として成り立っていても、極端な歌い方をする人はいない。
例えば忌野清志郎さんや甲本ヒロトさん(まあ弟さんは俳優ですが)、あまり俳優には向かないでしょう。
まあ音楽界でも今、こんなにアクの強い人は出てきませんが。
やるにしても、その役を本人に寄せないと無理。基本当て書きになると思います。
逆に「歌手」には「オリジナリティ」が求められる。基本的に「歌が上手い」だけではダメだと言ってもいい。
「歌が上手い人」なんてごまんといますから、それだけでは「歌手」にはなれない。
「その人ならではの要素」が求められる。
もちろんそれは俳優も一緒です。ただ俳優に求められるものは「演技」であって「歌」ではありません。
だからオリジナリティを強調する必要がない。
でそこが「俳優の歌」のポイントになります。
無理に「個性」を出さず、むしろその中で「歌手」なり曲の「主人公」を「演じている」感覚で歌っているのかと。
そもそも出発点が違うから行き着く先も違う、ある意味当たり前のことです。
ただ、両方とも存在している、というのが現実です。
この辺はおそらく、バランスの問題で、「歌手」の歌だけだと疲れるんだと思います。個性ばかり前に出た歌ばかり聴いていると、聴き手にも緊張感が出てくるんですよ。
空気を換える、という意味合いなのかと考えています。
ある意味「清涼剤」的な役割を「俳優の歌」は担っているのかもしれません。
ただ、日本の音楽界自体、今は同じ方向に進んでいるようにも思えます。
明日はその点について考えてみたいと思います。