ライブ⑩
ライブという呼称は不適切ですが、流れでこのタイトルにしています。
クラシックでいうところのコンサートです。
まあ普通に他のジャンルでも使う言葉ですが(笑)。
みんな同じ演奏に聴こえるかもしれません。ただそれは聴きなれていないだけの話。
指揮者やオケによって演奏が違うのが普通だし、その組み合わせが変わるとまた別の演奏になります。
理由ははっきりとしていて、楽譜が全てだからです。
楽譜だけで音楽が成り立っている訳ではありません。作曲者の意図を全て楽譜に表すことは出来ません。所詮記号ですから(笑)。
もっと言ってしまうと、古典になると楽器自体が違う訳で、その当時の音になる訳がないし、それを実現することにあまり意味はないでしょう。古楽器を使う方もいますが、本当の意味での再現をしようとしている訳ではなく、表現の幅を拡げようとしているだけです。この辺については改めて触れたいと思います
クラシックにおいては楽譜を読んでどう演奏するかが演奏者の仕事です。同じ記号であっても、それがどの程度のニュアンスを表しているのかまでは書いてありません。
演奏するにあたってはそこをどう読み解くかが必要になる訳で、当然人によって変わるのが当たり前です。
でそれを受けて演奏する側も、どのオケが演奏するかによって変わります。当然指揮者との関係性が演奏に影響を与えます。
指揮者が演奏者によってどう思われているか、そのことがオケの統率に関わってくるということです。
なんだこいつ、と思われれば当然それは演奏に表れます。
そこまで行かなくても、指揮者も人間ですから、その日の感情、体調といったものが指揮に影響を与えます。
演奏者もそれに気づいてしまうから、当然演奏も変わってしまう。
こうなってくると、あるオケの常任指揮者がそこで同じ作品を振っても、演奏自体が変わってしまいます。
これはもはや意図したことではありませんが、少なくとも「一回性」が担保される訳です。
まあ細かい話だとは思います。だから自分自身は正直クラシックファン、好きになれないし、Glenn Gouldがコンサートを止めたのも、この辺の事情が大きいのでしょう。
中には譜面を無視して大胆に変えてしまう方もいらっしゃいますが、やはり少数派かと。
そういうことが出来るのはやはりある程度の評価を得てからでしょう。そうでないと、単なる変な人と思われるだけですから(笑)。