曲と歌詞②
昨日は、歌詞の価値が低下しない一方、曲の価値が低下している現状について書きました。
でも、急にこのような状況になった訳でもないと思うんですよね。
恐らく節目は何個もあって、その結果が今につながっているんだと思います。
なので、歴史を遡ってこの問題を考えていきたいと思います。
で記事を終わらせると、何だか回数稼ぎっぽくなるので、今日は最初の節目から書きたいと思います。
何だか「前言撤回」みたいになりますが、恐らく昔も「曲」の価値は低かったんですよ。
いわゆる「洋楽」が聴かれず、「歌謡曲」だけの時代はそうだったと思います。
自分はその時分生まれてもいないので実感はありませんが、「曲」の価値を挙げたのは、「The Beatles」の影響が大きいのではないか、と推測しています。
「英語」の曲、だという点がやはり大きな意味を持っているのかと。
多分歌詞が分からず聴いていた方も結構多かったと思うんですよね。「The Beatles」の曲がいい、と言う方はいても「The Beatles」の歌詞がいい、という方はあまり聞きませんから。
曲名の邦題がいい、と言われる曲もありますが、それは「The Beatles」の音楽性とは何の関係性もありません。
自分も昔は英語で歌詞を書いていましたが、正直文法無視で書いていましたし、それで何の不都合もありませんでした。
さすがに今YouTubeにアップしている英語曲は自作の歌詞のものはありません。日本人だけが聴いている訳ではありませんから、さすがに恥ずかしいのでお蔵入りさせています。
まあ今アップしている曲も発音が変で、別の単語になってしまっている部分があったりもするのですが、それ以上にボーカルが美しいのでアップしてます。
さすがに自分が歌って自分が書いた英語詞の曲はアップ出来ないですね。
って何書いているのか分からなくなってきた(汗)。
そうそう、言いたかったのは、この国では「英語曲」の場合、歌詞はそれほど重要視されていないこと」なんですよ。
自分自身は多分「英語曲の歌詞」を聴いている方だと思いますが、やはり曲の方に耳がいきやすいです。
やはりネイティブではないし、昔は英語を訳さなくても英語のままで理解できる程度の能力はありましたが、今は歌詞見ないと分かりません。
何を言っているかは分かるんですが、それを日本語に翻訳することをしてこなかった分、聴いても意味が分からない状態になってしまいました。
ああ、やっぱりまた話がそれている(汗)。
今日書きたかったことは「英語曲」が聴かれるようになったことで、歌詞の相対的な位置づけが下がり、曲自体を聴く、という習慣が生まれてきた、ということです。
何だか分かりにくい記事ですみませんでした。