プロとは...⑩

記事を書いている中で、改めてプロのメリットについて考えてみました。

確実に言えることはあまりありません。

プロになったところで、メジャーにならなければ、聴いてもらえる機会がそれほど増える訳ではありません。

やはりYouTubeの出現は大きかったでしょうね。

昨日も書いた通り、昔であれば、やはりプロとアマでは聴いてもらえる機会の差は激しかったと思います。

ただ今はレコード会社が売ろうとしたからといってそのミュージシャンが売れる保証はない一方、これまで知られていない方が、いきなり有名になる時代ですからね。

やはりいい時代なんですよ。音楽家の地位が保証されないと音楽が衰退していく、なんてことを言っている人もいますが、全くもってナンセンスです。

それほど凄いことをみんながみんなやっている訳でもないのに。むしろ「どうなの?」と思う方の方が多いでしょう。

余計なしがらみなんてない方が、よほど色々な発想の音楽が生まれてくるんだと思います。

それに、「裾野」が拡がった方が様々な音楽が出現するでしょう。

当然それは「玉石混交」といったものでしょうが、いい音楽が生まれてくる可能性も増えるでしょう。

何度も書いている話ですが、これって音楽の「民主化」なんですよね。

音楽が「特別な人」のものだった時代はもう終わっています。

様々な方が、しがらみのない状態で自由の音楽を制作する、でそのことによっって色々な音楽が生まれてくる、実にいい時代じゃないですか。

プロが独占的な地位をもっていた時代が終わり、大勢の方が自分の好きなように音楽制作をする、こういった状況の方が健全なのかもしれません。

もちろん懸念すべき点もあって、制作サイドも含めた「中堅層」が薄くなり(上の層に変化はないでしょう)、これまで蓄積された音楽制作に関するノウハウが保てなくなっていく、ということはあるかもしれません。

ただ、そういう環境になったとしても、逆にそこに需要が生まれれば自然に埋まっていくものです。

だから「中堅層」が薄くなったとしても、それは一時の問題で、あまり気にする必要はないと思います。

むしろこの自由な環境を活かして何をしていくか、それを考えていればいいのかと。

もはや「プロ」の時代は終わりました。誰でも音楽が作れる時代ですから、むしろ色々な可能性が出てきて面白い時代なんだと思います。

むしろ問われるのは「聴き手」の側かもしれません。

ミュージシャンを生かすも殺すも、やはり「聴き手」なんですよ。

「聴き手」の側がしっかりしていないと、いい音楽は残らない時代です。

まあ昔から「いい音楽」が残ってきたかというと、そういう訳ではありませんが、聴き手の重要性が増しているのだから、いい「聴き手」が増えることを願っています。

キリもいいのでこの連載もここで終わりにしたいと思います。

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