昭和歌謡⑧

今日は予告書通り、「昭和歌謡」について編曲面から考えてみたいと思います。

これは恐らくテレビ番組の影響が大きいと思うのですが、楽器のパート数が多く、また音数も多い。

今でも日本の曲はやはり音数多めですが、当時は使用している楽器の種類が多いというのが特徴であろう、と考えています。

当時のテレビ番組での演奏を見るとやたらとバックに演奏者がいるじゃないですか。で、元を取るためだかなんだか理由は分かりませんが、その演奏者をフルに使おうとする。

楽器てんこ盛り。

ブラスも弦も大勢いらっしゃいます。だから何だか仰々しい。

曲が良ければバックはシンプルでいい、というよりシンプルな方が曲は引き立ちます。で、それが国際的にはシンプルに仕上げるのが今のトレンドです。

日本で言うと宇多田ヒカルさんの「何色でもない花」、トラック数が決して少ない訳ではないんだけれども、シンプルに聴こえるように作っている。

「昭和歌謡」は真逆なんですよね。とにかく音をやたらと鳴らす。

しかもブラスセクションの役割が大きい。

前からよく書いている話ですが、基本ブラスは時代性が出やすい。だから控えめに使った方がいいのだけれど、派手に鳴らすんですよね。

曲を目立たせようとしているのかもしれないし、当時はそれで良かったのかもしれないけれど、今聴くとやはり「古い」んですよね。

まあそういう曲がまた聴かれるようになっている訳で、時代は繰り返すのかもしれませんが、自分としてはやはり好みではないですね。

明日は「昭和歌謡」的なアレンジがいかに「シティ・ポップ」を侵食したかについて書きたいと思います。

ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。