純邦楽⑨
今日は一昨日の記事の続きに戻ります。
純邦楽の場合、理論的背景が必要ないことについて書きました。
そこで触れたのは「新作」がほとんどないこと、ということも書きました。
純邦楽の楽器を使った新作はありますが、それはほぼ西洋音楽(笑)。
これも結局行き着く先は「流派」なり「家元制度」が大きく影響していると考えています。
極論すると、新しいものは「邪魔」なだけです。自分で理解出来ないものが出てきたら、それこそ自分の「権威」に関わりますから。
今までやってきたことを同じようにやっていた方が安全です。
なんだかんだ言って「クラシック」でも「新作」はあります。それはやはり層が「純邦楽」よりは厚いのと、「新作」を演奏しようとする人がいるから。
演奏者がいないのに曲を作る人はいないでしょう。
「純邦楽」の場合、基本新作は企画ものだけ。
だから停滞する。まあ必然的な話です。
自分もかっては新作を作ろうと思っていましたが、やはり意味のないものは作りたくない。
ではこのまま純邦楽は衰退していくのか。
その点について明日から考えてみたいと思います、と思ったけど、まだ新作がほとんど作られないもう一つの理由があることに気づいたので、その点について明日、改めて書くことにします。
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