ミュージシャンと聴き手との関係性⑧
どちらかというとこの2日間は極端な話を書いてきたような気がします。あくまでも類型化したパターンの話ですから。
実際にはその間にミュージシャンが分散しているという形だと思います。
というより昨日書いていて気付いたのですが、この話は役割分担というところに深く関わっているような気がします。
プロデューサーという存在を介せば、ミュージシャンはあまり何も考えなくてもいいんですよ。
例えばドリカムもいい例だと思います。
もちろん中村正人さんは単にプロデューサーと言ってしまうと失礼な気がしますが、少なくとも吉田美和さんと聴き手をつなぐ存在にもなっていると考えていると感じます。
多分吉田美和さんは好き勝手にやっているだけだと思います。意識もせず、ある意味天然というか、自然にそうしている。
もちろん素晴らしい才能は持っていると思いますが、自分自身でその才能を開かせることは出来なかったと考えます。
やはり好き勝手にやっているだけでは花は開かないんですよ。水をあげたり、世話をする人がいないと。
特に才能があればあるほど、誰かがコントロールしないとどこに行ってしまうか分からない。
その役目を中村正人さんが担っているのかと。
どう吉田美和さんを聴かせるかを計算して作ってますよね。どちらが制作した曲かは関係なく。
もちろん中村正人さんの編曲、「自分の好み」がてんこ盛りに入ってはいますが、あくまでもその線(吉田美和さんをどう聴かせるか)からはぶれていないんですよね。
まあだからこそあそこまでのグループになったのでしょうが。
そう考えると中村正人さん、もちろんミュージシャンとしても優れた存在ですが、プロデューサーとしての力も素晴らしいんですよね。
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