作曲・編曲⑳
Aメロの次はBメロです。
と言っても実際に洋楽ではない曲が多い訳ですし、日本でも例えば林哲司さんの(竹内まりやさんの、と言った方が分かりやすいかもしれませんが)「September」のように、古い作品であってもない曲も結構あるので、基本的にあっても無くてもどちらでもいいような部分であり、どうでもいい、と言えばどうでもいいのですが(笑)。
後前にも触れましたが寺尾聰さんの「ルビーの指輪」は完全に洋楽構造の曲なのでBメロはありません。というより、chorusーverseとして考えた方がしっくりきますよね(何故verseーchorusと書かないかは曲の構造を考え、敢えてこう書いているだけで、間違いではありません)。
ただ、いわゆるBメロ的な部分、洋楽でも必ずしもない訳ではないんですよ。ある曲も当然あります。
もちろん「Bメロ」を作る、という意識で作っている訳ではなく、ただ単に流れ的にこういう部分があった方がいいだろう、という感覚で作っているだけでしょうが。
もちろん日本の曲でも、Bメロの無い曲なんていうのはいくらでもある訳で、一般的に思われているより、作曲者側は意識していないと思います。
ただ、日本では実際にBメロが使われている曲が多い訳で、もちろん無意味に使われているということではありません。
一言で言うと、「サビへの導入部」というイメージだと思います。
サビを盛り上げるためにAメロとサビの間に差し込む部分です。
なので、Bメロのアレンジについて語ることは出来ません。
というのはその前のAメロ、その後のサビのメロ及びそのアレンジによってしかBメロのアレンジを規定することは出来ないからです。
「繋ぎ」である以上、前後のメロなりアレンジによって規定されるしかない部分なんですよ。
例えば1コーラス目のBメロの場合、一般的にはAメロから音を足していく場合が多いと思いますが、それはサビで音が更に盛られるからです。
その方が流れが自然になりますから。
繋ぎの部分で変な方向に進んでしまうと「繋ぎ」になりません。
ただ考えようによっては、ここで落とす、というのもありです。Aメロがてんこ盛りになった場合、Bメロで落として一旦呼吸を整え、サビで盛り上げる、という手法もあります。
もちろん、Bメロに効果があるからわざわざBメロを作る訳ですが、Aメロとサビが美しく繋がるのであれば、ここはむしろ不要な部分になります。
Aメロは緩める、サビは緊張をもたらす、という関係性もBメロ自体が必ずしも必要ではないから言える訳です。
Bメロを必須なものだとすれば、アレンジに対する考え方も変わってくるでしょう。
ただ実際にはそうではなく、Bメロのない曲なんていくらでもあります。そう考えると、やはりBメロはどうしても必要な部分ではないんですよ。そう考えていくと、アレンジについても語ることが出来ない、というより語ることにあまり意味のない部分だと考えています。
特にサブスクの影響で、良し悪しは別として曲の尺を短くしないと、最後まで聴いてもらえない時代ですから。
その前後が上手く繋げられれば、それで充分です。
Bメロに対する考えは他にもまだあるのですが、記事が長くなりすぎるので、また改めて書きたいと思います。