演奏が上手いということ⑫

今日は以前書いた内容に戻り、いわゆる「プロ」と「スタジオミュージシャン」の差異について書きたいと思います。

まあ「スタジオミュージシャン」もプロですが。

ここで言う「プロ」とは、ミュージシャンかつ制作者としての存在です。

そうすると、その差異が明確に見えてくると思います。

制作者はあくまでも作品を制作することにより表現を形成しているのに対し、スタジオミュージシャンは、その表現を具現化するための存在。

どちらが優れているかという問題ではなく、立場の違いということになってくるのでしょう。

当たり前ですが、全ての楽器を自分で出来る人(もちろん相応のレベルで)はいません。

もっと言うと、自分で出来ないにしても、そう弾くかの指示を出せるミュージシャンすら決して多くはないから、いわゆる「音楽プロデューサー」と言われる存在がある訳で、ましてや編曲まで自分で行う人は限られています。

「音楽プロデューサー」ですら編曲は外注、という人も多いですからね。

というより日本では作詞・作編曲・編曲・プロデュースを一人でこなす例自体が少ない。

まあ以前にも書いた通り、別々に行なうこと(=分業制)の効率性の高さということもあるのですが、にしても、お任せでいいの、という感じがしなくもない。

最近でこそ変わってきましたが、全部ひとりでこなしていたのは、以前は山下達郎さんと宇多田ヒカルさん位でしょう。

最近でも少ないでしょう。DAWの進歩があるから、独力で行う方も増えてはいますが、地の能力で出来るのはAyaseさんと常田大希さん位だと思います。

一言で言うとツールがない状態で、これを行なうのは天才レベルでなくては難しい。

でもその人が演奏者として技術的に優れているか、というとそうとは言い切れない。

少なくとも制作者で全ての楽器をこなせる人はいない。

だからこそ、その作品を支える人が必要になる。

もちろんDAWの発達と共に、「スタジオミュージシャン」に対する要求は高くなります。

これならDAWで充分、と思われる人は淘汰される。

ただ、この淘汰の度合いは能力だけで語ることも出来ない。

どれだけ「演奏」が上手くても「不要」とされる人がある一方、それほどでも無くても「必要」とされる人がいる。

もちろん「人間性」とかいった問題とは無関係なところで。

明日はこの差異がどのような理由により生じるか、という点について書きたいと思います。


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