昭和歌謡⑤
では「昭和歌謡」とは何なのか、ということについて書こうと思っていたのですが、やはり難しい、ということに気付きました(汗)。
ただ確実に言えることはそのアレンジです。昨日「シティ・ポップ」との関係について少し触れましたが、「シティ・ポップ」が「昭和歌謡」から抜け出せていないのはアレンジの影響だと考えています。
楽器を全部鳴らそうとするんですよね。だから無駄な音が多くなる。しかも遊ばせない。そして更に音数が多くなる。
宇多田ヒカルさんの「真夏の通り雨」、あれなんてドラム連れてきてキックしか使わせない、あれは逆に演奏上リズムの取り方が難しくなりそうな気もしますが、そういう発想とは無縁なんですよね。
いるんだから使わなきゃ損、的な感覚なんでしょうか。
でもこの辺が「昭和歌謡」が「昭和歌謡」たる所以なのかもしれません。その辺が切り口になりそうな気がするので、ここに焦点をあててこれから考えていきたいと思います。
ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。