作曲の方法論㉕
で昨日は「複雑なコード進行」の曲について書くつもりが「調性感」に関する話になってしまったので、この辺で話を元に戻したいと思います。
本当の意味で「複雑なコード進行」の曲をポピュラーで作るのは難しい、というのが実感です。というのはやはり調性音楽である以上、コード進行は一定の制約を受けてしまうからです。
もちろん書けないことはないと思いますが、特にコード進行から曲を作るのであれば、あまりに複雑なコード進行にしてしまうと、不自然なメロになる可能性が高いでしょう。
コード進行はある程度度外視して、メロを強引に載せる、ということも出来なくはないでしょうが、聴き手にとって「不自然さ」を感じさせない作りにするのは至難の業だと思います。
もちろん必ずしも「メロ」が「コードの構成音」を中心に作られる必要はありませんが、それを延々とやられたら、やはり不自然さから逃れることは出来ないと思います。
あくまでも「部分的」でないと「ポピュラー」の枠から外れてしまうでしょうから。
そう考えると、やはり「コード進行の複雑な曲」と言っても、セカンダリードミナントの使用や同主調の和声の借用のような、コード自体に変化のあるコードを使用するか、もしくは和声の機能性を損なうような連続した和声で作品を制作するか、この二つ位しか選択肢はないと思います。
で両方一篇に書くと疲れるので、まず「コード自体に変化のあるコードを使用した作品」について書きたいと思います。
ただ、ここで問題が出てくると思っています。
果たしてその点についてとことん拘って作った作品が「作品」として良いのかどうか、という点です。
現実問題として、そのような作品は少ないですから。やはり音楽である以上、大半の作品は「聴かれる」ことを前提として作られているのだということなんだと考えています。
やはり聴いていて嫌悪感を示す作品を作る方は「少数派」で、「多数派」は聴いて何らかの「快楽」的なものを感じる作品をつくるものです。
まあ「音楽」という位ですから(笑)。
だからノンダイアトニックコードの極端な多用は避けた方がいいでしょう。ただ、具体的に何%までならいいのか、という基準はありません。
ノンダイアトニックコードであっても、その調性における距離感的なものがあって、遠いものほど多用すると不自然さを感じるでしょうし、近いものであれば、相当頻度の多用であっても不自然とは感じないからです。
例えばⅢがメジャーコードになってもメロが3度の音でない限り、全く違和感ないですよね。並行調のドミナントだから、ほとんど距離がゼロのようなものです。使われる頻度は極めて高いと思います。まあ難点があるとすれば使いすぎて、しかも使い方を間違えると並行調の曲になってしまい、普通のコード進行の曲になりかねない点位でしょうか。
セカンダリードミナントにしても、当然次に解決するコードの使用頻度が多ければ違和感はないでしょうし、使用頻度が少ないコードのセカンダリードミナントは当然使う必要性は少なくなります。
まあ別に解決しないで別のコードに行ってはいけない、という規則がある訳でもないので、その辺の定量的な説明は困難かと思います。
もちろん、経過的な和声であれば、あまり気にせず使って全く問題はありません。経過的=本筋の間に入る、ということですから。
結局のところ、自分の「耳」だけを頼りに考えるしかない、といったところかと。
でせっかくなので、明日はその「耳」について書きたいと思います、
ってまた本筋からそれるのか....(笑)。