作曲・編曲121
やはり昨日の記事が自分の中で引っかかっているので、続きを書きたいと思います。
当時他にも数あったはずのドリア旋法の曲の中で何故「Greensleeves」と「Scarborough Fair」が残ったのか、という点です。
民謡なので、歌詞とかそういう要素もあるのかもしれませんが、そこまで拡げると、当時の他の曲の歌詞まで調べる必要が出てきて、きりがなくなるので、止めておきます(汗)。
そうは言っても正直なところ分かりません。ただそれだと記事にならないので、自分なりに推測してみます。
少なくとも無名な曲は残らないでしょう。それなりの方が知らなければ後世に残るはずがありません。
おそらく昔からかなり歌われていたのでしょう。で、歌われていた、というところが重要なのかと。
昔は記憶媒体が譜面しかなかったでしょうし、譜面で表現される曲自体が限られていたでしょうから、大半の作品は歌い継がれるしか後世に残る手段がなかった。
はっきり言うと、「前衛的」ではだめなんだと思います。ある種のポピュラリティが必要なのかと。
この2曲、ドリア旋法で作られているからといっても、決して難しい曲でも無ければ歌いにくい曲でもありません。
歌いにくい曲が残るとは思えない。どんなに優れた作品であっても。
でこれってもしかすると今後も変わらないのかもしれません。記憶媒体がこれからも残り続ける保証なんてありませんからね。
最終的に残るのはやはり「口承」なんですよ。まあ人類が滅亡しなければ、の話ですが。
そう考えるとやなり「メロ」に戻ってしまうんですよ。分かりやすいから。
よくよく考えてみると、コードがどうたらなんてこだわっている人なんて一部のミュージシャンだけで、そんなもの無関係に音楽を聴いている方の方が遥かに多いでしょう。
まあ至極単純な結論ですが、メロがいいと思われる曲が残っていく、そういうことなのかと。
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