保守・革新②
では今日はこの2つの言葉の「定義づけ」から始めたいと考えています。
やはりこの言葉、漠然と使われているんですよね。
例えばシェーンベルクを語る時に「保守的革命家」と言われる場合がありますが、言わんとしていることは何となく分かりますが、明確ではないですよね。
これはシェーンベルクを別々の側面から見た要素を、足し合わせて使っているが故に生じている現象だと考えています。
まず調整音楽に対するアンチテーゼを打ち立てようとした、という側面からすれば、「革新」ということになると思います。
それに対し、無調音楽を「体系化」しようとしたことは「保守」だと考えています。
まあ音楽自体が保守的だった、という見方もあるとは思いますが、この辺は当時生きていた人間でないと分からない部分が多い、と考えているので、割愛します。
後から音楽を語る、という行為はそれ以後の音楽を聴いている立場からでは、どうしても意識的か無意識的は別にして、それ以降の「音楽」が頭の中にある以上してしまう以上、難しいと思います。
なのであくまでも時代的背景は一度無視して考えたいと思います。
「保守」という言葉は保つに守るですから、当然既存のものを守る立場でしょう。
というより一般的にそういう意味で使われるのでその通りにしたいと思います。
まあ、政治の世界だと「保守」を名乗る方ほど物騒なことを言いますが、政治の話をしている訳ではないので、ここでは無視します。
というか正直あの人たち、頭がいいとは思えないんですよね。主義主張以前にものを知らな過ぎます。もう少し勉強してから発言しろよ、って感じですね。
あ、これじゃ無視になってない(汗)。
まあそれはそれとして、「革新」は新しく改める、という意味なので、正に「保守」と対立する言葉ですね。
つまり保守とは「守る」側であり、革新とは「変える」側です、っていうかこれって当たり前のことですね(笑)。
なんでこんなこと書くのに時間使ってるんだろ…。
ただ、これって重要なことだと考えています。というのも、変える側は変えてしまえば、いつでも守る側に変わりうるし、守る側も守っていたものが変えられたら、それを変える側に回る可能性があるからです。
常に変わり続ける、完璧な「革新」というものは存在しにくいものだと思います。
フランス革命なんて、保守だか革新だかがころころ変わるじゃないですか。音楽の世界もこれと一緒だと思います。
常に変わり続ける、というのは実は難しいことで、どこかで落ち着いてしまい、変わらなくなってしまうことが多いでしょう。
そういう意味でもう一度シェーンベルクを考えた場合、この人は基本的に「保守」なんだと考えています。
というのも、無調音楽というのはこの時期に同時多発的に起こった動きであり、ある意味後期ロマン派の末路ともいってよいものなので、それ自体は新しいものでこそあれ、流れの中で出来たものです。
そこに秩序を与えようとする動きは「保守」以外の何物でもありません。
もっと壊す行為が「革新」でしょう。
これからこの問題について、具体的にミュージシャンを挙げながら、記事を書いていきたいと考えています。
ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。