作曲の方法論㉘
昨日は「この人唐突に何言い出すんだ」という感じだったかもしれませんが、今日の記事を読んで共感する方もいらっしゃると思います。
全く共感しない、という方もいらっしゃるとも思いますが(笑)。
何故昔ながらの「機能的和声」は単純に今当てはまらないかと言うと、やはりポピュラー音楽、特にジャズの影響が大きい、というのが自分の見解です。
テンションノートであったり、分数コードという概念は昔から明確なものとしてあった訳ではなく、むしろジャズで明確に理論化された、という風に考えています。
これらの理論を使えば、どのような和声であろうと、根音を持ってその和声の機能とする、という考えが成立するからです。
もちろんジャズだけでなく、クラシックの非主流派からも同じような考えがあったとは考えていますが、一般化はされませんでした。
その考え方とは前にも記事にした「中心軸システム」です。
この場合、ほとんど根音しか和声の機能に対して意味を持たないことになるため、言っていることは全く一緒です。
当然昔の「機能的和声」のようにその「機能性」は曖昧なものとなります。ただ時代が変わっている以上、根音が和声の機能を決める、という考えの方が時代に即していると考えています。
全く違うところから音楽にアプローチしたJohn Coltraneがほぼ同じところに辿り着いたのが「偶然」と呼べるでしょうか。
基本的な自分の考え方は
①コードの最低音がそのコードの根音と考える
②コードの構成音は3度・5度である必要はない(omitコードの使用)
③根音によりそのコードの機能が決定する
当たり前ですが、根音だけはomitできませんから(笑)。
我ながら相当無茶苦茶なことを言っているような気もしますが(笑)。ただこう考えると、何これ、というようなコード進行も簡単に考えることが出来たりもします。
また昔の「機能的和声」からすれば、この考え方の場合、和声の機能自体が極めて弱くなっていることは否めません。
ただ、実際の楽曲の説明をする際に、昔の「機能的和声」の考え方では相当な拡大解釈をしないと出来なかったことが、この方法だと容易に解決が出来る、と考えています。
ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。