作曲・編曲148

今日は予告通り、ミュージシャンが「オリジナリティ」についてどう考えているのかについて書きたいと思います。

本質的にはあまり気にする必要はないと考えています。

所詮人が決めることだし。

ただ、この話って「そうは言っても」なんですよ。

実際に今この世の中で生きているのは間違いのないことです。

そのことだけは否定出来ない事実です。

時代に対して中立的であることは無理でしょう。程度の差こそあれ、今の世の中を全否定して生きることは難しい。

だから「オリジナリティ」を無視して作品制作は出来ない。それが推奨される時代だから。

西洋であっても近代より前であれば「オリジナリティ」なんてどうでもいい話で、模倣でもなんでも構わなかった。

でも今自分たちが生きている世界は「西洋的近代」が支配する世界。

ただ昨日、一昨日と書いてきたように、「オリジナリティ」はあくまでも「他者」からの評価によってからしか決まらない。

で、一昨日書いた通り、「オリジナリティ」を意識して音楽制作を行わなくても、「オリジナリティ」が生まれる、ということもあり得る。

そう考えると、「オリジナリティ」に拘ることは意味のないことなのかもしれません。

実際世の中は「紋切型」の作品に溢れている訳で。もちろんその中には「オリジナリティ」を意識していない作品も多いでしょう。

ただ、それは単なる知識不足の結果であって、人と同じものを作ろう、と考えて制作している方はやはり少ないでしょう。

やはり「近代的自我」がここに表れてくる訳です。やはりこの枠から離れて音楽(には限りませんが)を制作することは難しい。

ではどのようなスタンスでミュージシャンは音楽制作に向き合うか、という問題について明日記事を書きたいと思います。


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blue but green
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