演歌【後編】
そう考えてみると、作品としては演歌なのに好きな曲がない訳でもないんですよね。
「津軽海峡・冬景色」です。
別に紅白で歌うからではありません。紅白で聴きたいと思う曲はYOASOBIの「群青」だけですから(笑)。
そもそもこの「・」、なんで付いているのかは良く知りませんが(笑)。
この曲は間違いなく演歌だと思います。コード進行も演歌のそれと言っていいし、何よりあの大袈裟なイントロは演歌としか言いようがありません。
でもこの曲、好きなんですよね。
やはり竜飛岬行った時にこの曲、歌いました。
結構岬って好きなんですよ。最果て感がいいんですよね。
だからって歌う必要はどこにもないのですが。
って音楽の話を書かなきゃ(汗)。
結構この曲、演歌が嫌いな方でも好きな方、多いと思うんですよ。コードもアレンジも演歌としか言いようがない曲なのに。
もちろんこれには理由があります。
リズムです。
この曲の持っているリズムは明らかに演歌のそれとは違っています。
三連ということもありますが、三連の演歌は他にもあるので、それだけでは理由になりません。
三連と言っても完全な等間隔ということはなくて(というより機械でない限り無理です)、もちろん「ズレ」は生じますが、それがどのような「ズレ」かが問題になると考えています。
で、演歌の場合、明確なズレは持たせないものです。以前にも書いたことがありますが、基本的に演歌という音楽は、日本の周縁部の音楽がルーツでもあるので、「リズム」という概念に乏しい(もしくは意識されない)。もちろんリズムのない音楽というのはごく稀なので、「リズムが単純」という言い方の方が適切かもしれません。
ただこの曲の場合、そういった演歌とは明らかに違っていて、独特のもたった感じが、いわゆる「スイング」に近い要素を持っている三連なんですよね。
多分そういう演歌は他には無いと思います。
あれだけ演歌的な曲でも、その一つの理由だけで、普通の演歌ではなくなるものです。
こういう演歌の方向性が拡がれば、演歌の世界も発展するのでしょうが、そうはならないでしょう。
同じものを聴きたい「聴き手」によって聴かれている以上、それは無理な話です。
新しいものを追及しても意味がないんですよ。そういう意味では「津軽海峡・冬景色」は一つの可能性を提示してはいますが、あくまでも「演歌」の枠から外れないように作られていて、他の要素は演歌そのものです。
ただ本当はもっと冒険してもいいと思うんですよね。「天城越え」があるから(笑)。
恐らくこの2つは演歌の世界上では「対の関係」になっていて、「津軽海峡・冬景色」が演歌として存在しうるのは「天城越え」があるからです。
まあ「天城越え」は「津軽海峡・冬景色」無しでも存在しうる、とは思いますが(笑)。
まあ、そう言ってしまうと、やはり演歌歌手の作品、と言ってしまえばそれまでですが、やはり「津軽海峡・冬景色」はいわゆる演歌的ではない作品であり、こういう試みがされていけば「演歌」も変っていくとは思います。
「聴き手」が望んでいれば、ということがあくまでも前提にはなるので、実際には「あり得ないこと」だとは思いますが。
あ~、慣れないこと書くと疲れますね。この内容でこんな文字数を使うとは思いませんでした。なので今日はこの辺で(笑)。
ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。