作曲・編曲161

何だかタイトルとどんどん離れていっているような気もしますが、所詮こんなものです。

これでいいんですよ。

別に記事書いて収入得ている訳でもないんだし。

話が矛盾しているように思える内容です。

まあそんなに弱めているつもりもないし、かと言って読んでほしい訳でもないからこれでいいんです。

昨日は音楽の商業性への批判のように受け止められたかもしれません。

正直どっちでもいいのですが、やはり「商業性」は必要です。

どのような作品であれ、このことは必要な話。

商業性に欠けると言われている音楽でも、やはり「商業性」とは無縁でいられないからです。

本当に商業性がないのだとすれば、聴かれることすらないでしょう。

「商業性」というと、話が拡がりすぎるのかもしれません。

ただ完全な意味で「商業性」を考えないで作られた音楽はいいものなのでしょうか。

そこに「聴き手」がいるとは思えない。

特定の人数が聴かない限り、その音楽は単なる「独りよがり」にしかならないでしょうから。

「現代音楽」なんていい例で、極めて小さなマーケットの中だけで完結している。

「マーケットを意識しない」ということは言い換えれば、「聴き手」を意識していないということど同義です。

「マーケット」は「個人」の集合体によって形成されるものだから。

で、一人が評価したところで、その音楽は評価されない。

それではただ消えていくだけなんですよ。

作っては消え、ではそこら辺の流行曲と一緒です。

やはり作品が残っていく上では、ある種の「商業性」が必要になります。

想定している「マーケット」の大きさはそれぞれでしょう。

ただやはり「マーケット」無しで音楽は成立しない。

だからこそ「マーケット」の存在しない音楽は音楽足りえない。

やはり音楽にとって「商業性」は必要なものなのかと。


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blue but green
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