DTM76
最近ずっと同じような音楽が流れていて変化が無くなっている、という話を昨日書きました。
こういう状態が続くとどうしてもマンネリ化は避けられません、と今日もLisa×Uruの「再会」を聴きながら書いています(笑)。
ただこの辺って微妙なところだという気もしているんですよ。この背景には「音楽」の社会的価値の低下、という問題もあるのかもしれませんが、ある意味ミュージシャンにとっては自由な環境を作っている、とも言えるからです。
やはり「突然音楽が書けなくなるんじゃないか」という不安をどこかしら持っている方がミュージシャンの中には多いです。
もちろんこれは人それぞれで、メソッドを持っている方はそれほど不安感は少ないと思います。
自分自身はおそらくあまり不安は感じない方です。定番的なコード進行で曲を書け、と言われれば、コードとメロだけであれば少なくとも1日に5曲は書けるでしょう。
ただ、それでもやはり感じる時はあります。そりゃあ定番的なコード進行なり、手癖のレベルなら書けなくなることはありませんが、「自分ならではの作品」を作ることが出来なくなるのでは、という恐怖感は常に抱えています。
例えばアレンジであれば、そういう恐怖感を感じることはありません。「自分ならではのアレンジ」とはいうものの、それは自分が意図的に作り上げてきたものなので、「再現性」が高いんですよ。
ただこれが「曲」になってくると良く分からないんですよ。何でこういう曲になったのか、というのも良く分からないです。
基本音数が少ない関係もあり、複雑なコードは使わないことが多いは多いのですが、後で自分の曲を聴いて、何でこんな変なコード進行になってるの?、と思う時もあります。
それ以前にリメイクなり、元の作品に手を入れた時点で始めて気付く、ということすらあります。後、使いたくない、と普段から言っているコードが普通に使われていたりとか(笑)。
自己分析してもあまり明確な傾向が見えてこないんですよね。だから自分の音楽というものが良く分かっていないし、だからこそ、突然曲が書けなくなるんじゃないか、という感覚は常に持っています。
で大なり小なりこういう感覚を持っているミュージシャンって多いと思います。そう考えていくと、今の環境って気持ちを相対的に楽にしてくれると思うんですよ。
まあ逆に「音楽の価値の低下」から生み出されているのでは、と考えるとこれもまた少し複雑な気分になります。
音楽が聴かれにくくなっている、ということは自分にも同じようにかかってきますからね。
ただもちろん、現在の音楽環境の変化が及ぼしている影響は他にもあるので、明日は別の側面の「今の音楽環境の良さ」について考えてみたいと思います。
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