音楽作品制作方法⑦
で、ここから話が変わります。
大体こういう時は「気まぐれ」ですが、今回は違います。
コードとメロが出来てから先の作業は「詩先」で作るのと全く同じなので「詩先」の場合の作り方を先に書いた方が展開がスムーズですから。
詩先というのはもちろん一般的な現場ではまずありません。詩先でやってくれるのはよほどの大物でない限りありません。
ただメジャーな曲でも詩先はありますから、これは触れておかなければならないと感じています。
鬼束ちひろさんは「詩先」だというし、自分も最近知ったのですが、「木綿のハンカチーフ」、これ「詩先」だそうです。
松本隆さんが作詞を依頼されるのが嫌だったので、これには曲付けられないだろう、という気持ちで作ったら筒美京平さんが曲を付けてしまい、観念して作詞家としてやっていくことになったそうです(笑)。
まあこれは極めて特殊な事情ですが...。
その内触れたいと思っているのですが、松本隆さんって極めて独自な詩を書かれるので、結構興味深いんですよね。
その過程でこの事実を知りました(笑)。
またもや話が脱線してしまいました...。そうだ、詩先の時の作品制作について記事を書くつもりでした(笑)。
詩先だと、必然的にメロから作ることになると思います。というのも、詩の中に一定のリズムがある場合が多いので、まず譜割を意識しないといけないからです。
というより、詩の中にあるものを見つけていくような感じでしょうか。
もうただひたすら詩を読み続けます。そうするとどこかしらある部分のメロが浮かんでくるんですよね。
でそれを繰り返して、シーンに合わせて出てきたメロを繋ぎ合わせて曲を作るので、曲先より遥かに時間がかかりますね。
だから相当気に入った詩でなければ詩先で曲は書きません。
ただ詩には世界観があるので、やはりイメージが明確だし、良い詩であれば、自然とその世界観にあった曲が出来るんだと思います。
そういう意味では今まで詩先で作った作品には思い入れがあるし、満足感もあります。
ただ良く字脚といって、文字数を気にする方がかなり多いのですが、文字数があっていなければ曲が書けない方は、それなりの方でしかありません。
シンコペを使ったりとか、リズムの刻み方で、その辺はどうにでもなるんですよ。
ただ「夏の終わり」の時に苦労したのは、1コーラス目の詩を見てメロを作ったら、2コーラス目の文字数が多かったため、そこに合わせてリズムの刻み方を直すのは大変でした。
1コーラス目で、これだ!っていうメロが出来たのに、修正する訳にもいきませんから...。
で、次回はそのメロに対してどのようなコードを付けるか、について書きたいと思います。
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