作曲の方法論㉜
今日こそは自分が配信作品では何故ベースラインを一切入れていないのか、についての記事にします。絶対に。
基本ベーシストとしての自分と、作曲者としての自分、別人なんですよ(笑)。
人の曲だとベーシストになるけど、自分の曲では自分の曲の方が大切だから、いらないものは切り捨てます。
出来るだけ音数を減らしたい、というのがまずあるのですが、もう一つ意識していることがあります。
ベースを入れるとどうしても「コード進行」が明確になりやすいからです。
今の流れからすると、調性感を強めに出す曲は合わないと思っています。そのために、「コード進行」を明確化させやすいベースは入れない方が、浮遊感のある作品が出来る、ということが大きな理由です。
紅白に出る「鼻歌制作者」の曲ですら、主和音で始まりませんからね(笑)。まああれは他の人が弾いているコードに合わせて鼻歌歌っているだけだから、何の意識もないんだろうけど...。
まあとんでもない世の中になったものです。
また話がそれてきたので元に戻さないと(汗)。
で、元に戻して、ベースを入れないと、どの音が最低音になるかが「偶発的」になります。自分の場合、最低音はピアノかギターがチェロになりますが、ピアノなりギター(アコギ)は減衰系の楽器なので、弾いた瞬間には音がしっかりなるけれど、その音は自然に消えていき、チェロの音の響きが相対的に大きくなります。
そうすると、「意図しない効果」が現れるんですよ。チェロの経過音的な音が最低音に聴こえると、自分でも意図しないコードのように聴こえます。
正にそこが「ベースライン」を入れない理由です。どうしても自分で考えたコード進行では、予定調和的になる危険が高い、と考えていて、その回避のために、ベースラインを抜くことによって、意図しないコード進行にすることが目的です。
まあ普通こんなことはやらないでしょうが、そもそもポピュラーでベースが無くてはならないとか、ドラムが無くてはいけないとか、もっと言ってしまうと、ギターが無ければいけないか、ピアノが無ければならないとか、そういった規則なんてどこにも無いんですよ。
「みんながやっているから自分もやらないと変」だと思っていると、やはり主体的な音楽にはならないと思います。「当たり前の曲」でない曲を制作することは、その「当たり前」を疑うところから始まる、というのが自分の考えです。
もうそういう考えは止めましょうよ。「自分の曲」なんですから。
ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。