作曲の方法論⑥

で今日がある意味本命のコード先です。

これは最初にどのようなコード進行にするかが「全て」と言っても過言ではありません。凡庸なコード進行から非凡な曲を書くことは相当難しいですから。

というのはやはりコード自体がメロの制約に成りやすいからです。選べる音の数が少ないし、そういうコード進行からは既に多くの作品が作られている訳ですから、そうそう非凡な曲は書けないんですよ。

だから自分も含め「凡人」はコード進行にある程度拘って作った方がいいと思います。

良く「これを知っていれば曲が書ける」という話があって何パターンかのコード進行が出てくることがありますが、そこに出てくるコード進行は使わない方がいいと思います。

もちろん知っているのに越したことはありませんが、引き出しの中の一つの道具、と考えるのが賢明です。

こういう風に書くと複雑なコード進行じゃなければいけないのか、という話になりがちだし、そう考える方が実際多いのですが、決してそんなことはありません。

簡単なコードでもいいんですよ。並び方を変えれば(笑)。どうしてもコード進行を語る際に「和声の機能」に話が行ってしまいがちですが、普通にポピュラーなりロックでは長調でも、ⅤーⅣ進行使うじゃないですか(短調は今はOK)。というか別にクラシックで使っても本当はOKなんですが(笑)。

前にも書きましたが、理論はあくまでも「後付け」で、楽曲の分析から組み立てられたものです。だから実際の作品でそこに入り切らない部分が出てくるのは「当たり前」のことであって、これも単なる「引き出し」の一つと考えた方がいいと思います。

まあ一言で言うと「コード進行」なんてコード並べときゃいいんだよ、とも言えます(笑)。聴いて良ければ使えばいいし、良くなければ使わなければいい、ただそれだけのことです。

「聴いて心地よいと感じることが多いコード進行」が定番的なコード進行と呼ばれているものですが、それは過去の作品からの考察でしかありません。

ただ「単にコードを並べた部分」と「定番的なコード進行」の両方を使うだけで、作品の聴こえ方は確実に変わってくるはずです。

また「コード先がメロの制約になってしまうから自由な作品が書けない」などという言説がまかりとおっていますが、それはコードを一定のコード進行に収めようとしているからであり、かつ特にメロのロングトーンがコード内の音で無ければならない、という貧弱な発想から生まれているものとしか思えません。

確かにメロはコードから一定の制約は受けるということは否定できない部分もあります。ただそのコード進行を自由に作って良い、と考えれば、確実に見える世界が変わってきます。

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blue but green
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