純邦楽⑯
一昨日の話の中で自分で書いていて気付いたことがあったので、昨日の予告通りそのことについて書いていきたいと思います。
以前の内容とも重複するかもしれませんが、「純邦楽」って「純邦楽」なの?、という話です。
今の「純邦楽」、ほとんど昔の曲をやっています。
だからこれが「純邦楽」になってしまう。
ただ過去もそうだったかというとそういう訳ではない。
そもそもごちゃ混ぜなジャンル、という側面もありますが、その中の特定のジャンルを見ても、変化もするし、新しいものも生まれていた。
そもそもこれが普通の姿なんですよ。
「正しい日本語」の話も書きましたが、それはその時の「正しい日本語」なだけであって、その「正しい日本語」は時代と共に変わっていきます。
音楽も一緒で、変化が無かったら「音楽史」なんて言葉はないはず。
広い範囲で捉えても「純邦楽」というのはナンセンスですが、狭い範囲で捉えてもやはりナンセンス。
これも昨日の話と被るのですが、層の薄さと関連しています。
昨日の話は時間軸的に短い話でしたが、これは時間軸的に長い話です。
やはり層が厚いとそこから派生するものも多くなります。
結果、そのジャンルの中に「多様性」が生まれます。
だから昔の「純邦楽」は変化するものだったし、多様性に溢れるものだった。
まあ層の薄さ故にその「多様性」を失ったからこそ、「純邦楽」として存在しているのかもしれませんが(笑)。
なんだかどんどん話がそれているので、明日は軌道修正したいと思います。
気が変わるかもしれませんが(笑)。
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