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オレンジジュース日記 1 in バルセロナ

  高校生のころの私は『深夜特急』に熱を出した。6冊の本をろくに寝ずに読んだため実際に体調を崩した。節々は一刻も早く切り上げることを要求していたが、痛みを誤魔化して私は主人公が終点ポルトガルに降り立つところを見届けた。それまでのスリリングな行程を踏まえると、ポルトガルは実に穏やかな、そして寂寥とした描写であったことが印象的だった。それは日本から遠く離れた陸の終わりであり、私の世代が知らないはずの懐かしい日本的な田園風景にも思えた。一人の旅人の目を介した世界のドキドキハラハラからなじみ深い静けさをポルトガルで取り戻したとき、胸の高まりは消えて、ロマンが染み込んだまま残った。
 『深夜特急』は言わずもがなかつて一大旋風を引き起こしたベストセラーであり、少なからざる読者にとってポルトガルへの憧れが共通体験であろうということは確信に近い。こういう人たちにとってはポルトガルに行くことはもはや時間の問題であり、そのタイミングは例えば為替相場などといった社会状況とは独立した決まり方をする。私の場合は2024年夏。円相場は歴史的なタイミングが来ていたみたいだ。世界は常に何かしらの記念日を迎えている。とにかくそんなときに付き合ってくれる彼女の要望と折り合いをつけるかたちでバルセロナに寄りながら、スペイン・ポルトガル旅行は始まった。
 
『バルセロナ』
 ドバイを経由してバルセロナに向かう便の中でバルセロナ在住のドイツ人と知り合った。アンセル・エルゴートの風格を少しだけ漂わせる若い男性は起業したテック系の仕事をドバイで終わらしてきたところらしい。そして彼とお馴染みの”フライトチャット”を交わした。なぜバルセロナ・ポルトガルに行くのか、日本に行くとしたらいつが良いのか、ビジネス進出したいが日本人はどういう人たちか、などなど機内食を食べながらお互いの国の情報を交換した。彼は我々の旅行がより良いものとなるように丁寧におすすめスポットを教えてくれた。「スマホを貸して」と私のメモ機能にバルセロナ・ポルトガルのおすすめどんどんまとめていく。正直彼のおすすめに行くことはあまり出来なかったのだけれど、Boltという配送アプリは旅行を通じて大変役に立ったし、世界中を飛び回る彼から今後の旅先を考える上でのTipsをもらった。飛行機がバルセロナを視界にとらえると、彼は教えたことのおさらいをした。彼にとって空から見るバルセロナは100回目くらいだろうけれど、その時の彼はとても楽しそうだった。バルセロナは市民に愛されてるんだ。

 バルセロナの主要な移動手段は地下鉄とバスだが、どちらもかなり騒がしい。スペイン人の区切りの見えないおしゃべり。スマホスピーカーで音楽を流す人もいる。大きな声で一体何を話しているのだろうかと、会話の内容が知りたくなる。簡単な挨拶を除けば、知っているスペイン語は”vino tinto”(赤ワイン)だけであり(ナイスガイはそれだけ教えてくれた)、謎の会話を前にしてスペイン語を学ばなかったことを後悔した。
 バルセロナと言えばガウディ建築がまず連想された。サクラダファミリアやグエル公園では水鉄砲をかければ20人には当たるんじゃないかという込み具合だった。日本人もいっぱいいる。グエル公園にはガウディ建築の解説本も日本語版が多く積まれていた。建物はもちろん素晴らしく、こんなものを街の何でもないところに作ろう(作らせてみよう)というバルセロナ市民の好奇心と寛容さに驚くばかりなのだが、人混みはやはり疲れます。


 私が好きだったのは旧市街だった。ナイスガイは「あんなとこ汚くて騒がしいだけだよ」と評していたが、高い壁に囲まれた細い路地が織りなすものはまさに迷路である。
 横道を行くと色々なものに出会えた。ローマ時代に遡れるのではないかという古い遺跡や、様々なスタイルのアトリエなど先の読めない散歩に冒険心をくすぐられていく。とある曲がり角の先にはちょっとした広場があった。日没が遅いので夜の8時でも明るく、多くの子供たちが走ったり、サッカーをしたりしていた。興味深いことに広場の横には当然のようにテラスバーがあり大人たちは赤ワインをぐびぐび飲んでいた。あまり大人が子どもに声をかける様子もないので関係性はよく分からない。大人と子供が互いに気にすることもなく賑わっている光景は異様ではあったが、彼らの間で夏を目一杯に楽しむのは大人と子供で平等に与えられた権利なのだろう。

突然現れた公園とテラスバー


 バルセロナのビーチに行った。地中海で泳ぐという体験は必ずやっておきたいことの一つだった。
 更衣室なんてものはないのでトイレで着替えるのだが、浜辺に数少ない日陰には必ずマッチョな黒人の兄ちゃんたちがたむろして、スピーカーで重低音を響かせている。ちょっと怖いが別に何もされることはなく、何度も飛んできたビーチボールをわざわざ取りに行ってあげる彼らはどちらかというと良い人たちなのだろう。それにしてもやたらマッチョだ。粘土を盛りつけたような筋肉はどうすれば作れるのだろうか。ピラティスではないことは確かだが、検討がつかない。
 アジア人がいないビーチはどこか心細い気がする。同じアジア人のカップルが我々の隣に座ってきてなんとなく気持ちを共有した。それでも水に入れば何も気にならずバシバシ泳いだ。元水泳部の私は泳ぎが得意なのです。体を心地よく疲れさせてからはただ浮かんでいた。水に浮かんでいてもビーチのにぎやかさは聞こえてきた。みんなビーチバレーやダンスや日光浴を自由に楽しんでいる。波が少ない地中海ではなにも抵抗する必要なんてなかった。彼らと共にただ夏の太陽を受け止めていればよいのだ。
 しかし告白するに、映画『ジョーズ』を観てからというものの海でじっと浮かんでいることに恐怖を感じるようになってしまった。足の下では巨大サメが人間を選んでいるのではないかと想像してしまいソワソワする。その不安が限界になったとき翻って浜辺を見た。照り付ける太陽のもと浜辺に待たせた彼女の視線がこちらに向いていた。コインロッカーなどがないので、荷物を見守るために交互に海に入っていたのだ。その視線はサメなんかよりも恐ろしいものだった。
 浜辺に戻ろうとするとき水の中のヌーディストたちに気が付いた。浜辺からは見えなかったが、海にはずいぶんたくさんいた。自然のままに楽しむ彼女たちを通り抜けていくときには目のやり場に困った。地中海の水がとくに辛いと記憶しているのはそのときに何度か水を飲みこんでしまったからだろうか。


 日にも焼け、人の多いビーチに疲れると旧市街に入った。そこはやはり陰がどこまでも伸び、静かな場所だった。ナイスガイがいうような騒がしい場所ではない。すぐ戻れば白飛びしそうな眩しいビーチがあるのだが、やはり旧市街の静けさにいると、ビーチの賑やかさは遠くのものに感じた。数百メートルを隔てたこのコントラストはバルセロナで一番印象的なものであった。

 我々がバルセロナにいたのは2日間に過ぎなかった。大変名残惜しい気持ちでポルト行きのフライトに乗るべく空港に向かった。電車内では隣の席の老夫婦が座っていた。彼らの会話はわからないが徐々に険悪な雰囲気になっていることは確かだった。そして旦那の何かの言葉はついに奥様の逆鱗に触れてしまった。感情を爆発させる奥様は全身で怒り嘆いていた。あの後二人はどうなってしまったのだろうか。駅についてしまったので一部始終を見届けることは出来なかった。しかし彼らが向かうのは別のターミナルの空港駅なはずなのだけれど。ああ、スペイン語が話せればなぁ。


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