オレンジジュース日記 3 in リスボン
『リスボン』
ポルトでの療養で体調はほとんど回復していた。彼女とPOWERADEというコカ・コーラ社の本性があらわになったような色のスポーツドリンクのおかげだ。
リスボンへの移動手段である国営鉄道ではストライキが行われており、「ときおり運休する」というHP上の曖昧な情報に本日のポルトガル鉄道社員の心境を読めない我々観光客はかなり困ってしまう。しかし、せっかくなので代替手段としてのバス移動はやめて、鉄道に賭けることに。そしてその日はちゃんと運行していました。(後で調べたら同じ駅からポルト行きのバスも出ているようでした。)
車窓から見えたのは林と、トウモロコシ畑とまばらな家々。東京―名古屋間くらいの移動距離だが目立った大きな街は見当たらなかった。日差しがまぶしいのでブラインドをすこし下ろそうとするが、スイッチはやはり壊れていたので、3時間ポルトガルの陽射しをしっかりと浴びることができた。電光掲示板がなく車内放送もほとんど流れないので、正しい電車に乗っているのか時々不安になる。しかし電車は問題なくリスボンに着いた。
リスボンは何といっても早朝が良かった。続く胃の不調で、夜の酒より朝のオレンジジュースをとらざるを得なかったわけだけれど、以下に理由をいくつか書き留めておくことで怪我の功名だと確信したい。
やはり国の機関や大企業が集まるだけあって、“シティ”という世界共通の雰囲気をどこか感じてしまうリスボン。早朝とはそんな街がまだ寝ぼけているような時間である。テラス席のパラソルは閉まり、警官はパトカーの中で居眠りをしている時間。そんな朝のリスボンの空には淡いピンク色の雲が浮かぶ。実に幻想的であった。ネット上にはリスボンのピンク色の空についての言及がいくつもあったので、私が寝ぼけていたわけではないと思う。そんなムーディー雲を作り出す太陽はまだ低く、タイルで敷き詰められた道路に朝日が反射すると、街は波のない湖のようにまぶしくなる。
観光客が少ないのもいい。早朝に活動している多くは一人旅をしている人だ。コメルシオ広場ではそんな彼らが同じ仲間を見つけると広い広場を走って声をかけ、写真を撮り合う様子が見られる。しかし勇ましい銅像の前にいざ立つとポーズを決めきれず、ぎこちない動きが生むラブリー写真を持ち帰ることになる。
サンタジョスタの塔も独占できる。こちらは坂の多いこの街の上下移動を支える公共エレベータだが、歴史的建造物として日中は観光客が混みあう。100年近い歴史を持つエレベータというのは、その風格と引き換えに安全性への不安を拭えないわけだが、乗ると現代的な滑らかさであっという間に上に着く。そこで見た朝のリスボン市街はとてもキュートだった。ポルトでも感じたことだが、上から見下ろすポルトガルの街並みはとても美しい。高層ビルというものがないし、一つ一つが小さいオレンジの屋根によって作り出される統一感はやはりかわいらしい。
『地の果てと旅の終わり』
旅の終わりにロカ岬に行くというのは『深夜特急』の追体験である。沢木さんのようにバックパックでユーラシア横断の過程を踏んでいるわけでもない我々はスマホと財布だけ持って向かう気楽なツーリストなわけだが、気持ちの入り方は完ぺきだった。
リスボンから電車でシントラに行き、バスに乗り換えて岬に着く行程だ。乗り換え地点であるシントラはかつての王族たちの避暑地であり、豪勢な城がいくつも建っている。そのどれもが異なった建築様式を持っていて、メルヘンチックな城から、ゴシックの権威ともいえそうな城、鉄壁を誇る実に機能的な城まで、歴史的な背景も城主の性格も実に様々なようだ。しっかり時間をとって観光すると面白そうである。ただしどこも事前予約が必要。我々は時間も事前予約もなかったので、ただ遠くから見るだけだった。
ロカ岬行きのバスはシントラのいわゆる庶民街にあるバス停から乗る。車内は混雑していて、すでに座席はいっぱい。後ろの少し広いスペースに立つことになった。40分立つのはちょっと辛いけど、あとはバスでのんびり風景を眺めていればユーラシア最西端に着くわけで、楽勝だなと思っていた。
しかしわれらの大地はそう簡単に終点を見せてはくれなかった。終盤に起こる混乱が多くの物語の結末を際立てるように、バスはメインストリームをなぞって走り出した。
シントラは山の上にある街なので、バスは狭くて曲がりくねった道なりを降りていくことになる。一方通行の道はほぼ見当たらず、狭い道をレンジローバーやらフォードやらのでかい車とすれ違いながら進まねばならない。そんななかバスはものすごいスピードで駆け下りていった。後続車の姿はみるみる小さくなっていく。鋭い曲がり角が生み出す遠心力、大きな轍が体を宙に浮かせる。物理原則が生み出す過酷さと流れ去るどこか寂しい田舎な風景はクリストファー・ノーラン的演出を思わせた。
我々は必死に手すりにつかまっているしかなかった。横においてある無人のベビーカーはついにストッパーが外れ、私の膝へ執拗に突撃してくる。Googleマップが示す40分近い道のりを大きく短縮したバスは、最後に警察の検問で談笑し、ロカ岬に到着した。着いた時にはベビーカーの持ち主に文句を言う気力もなかった。
道路は最西端の間際まで来ているので、バスを降りたらすぐに着く。地球の端っこなんだし、江の島のように自力で山を巡って向こう側に着く…みたいな演出が最後にあってもいいなと思ったが、さすがに世界的観光地なわけで、そういう場所には人の手が余すことなく届いている。
そしていよいよユーラシア最西端に立ってみる。空は快晴、視界良好。実に爽快だった。その境界は大西洋の荒波に削られ、殺伐と切り立った崖になっている。「ここに地果て、海始まる」と書かれた記念碑が訪問者を祝福している。海を見晴らす光景は端的で前のめりな詩にふさわしい。
人が多いので、地球の端っこにいる感覚はそんなにしない。しかし強風を背中に受け止めて海を見ていれば、この地球の端っこから大航海時代が始まったことを象徴する場所であるとも思えてくる。長年にわたるレコンキスタ(国土回復運動)が15世紀までに終わりを迎えると、それまでマグマのような熱を帯びていたポルトガル人の外向きな意識と宗教的野心は行き場を失ってしまった。彼らの足が陸の果てを踏んだ時、冷めきらない気持ちが面前に広がる海の先へ向いたのは想像に難くない。その結果として極東の人間が気軽に来られるほど世界は身近なものになった。
地の果てをみたらあとは日常に戻ろうという気になった。それは一つの恋の終結のようである。『海辺のポーリーヌ』がひと夏の恋に冷めきると、そそくさとパリに帰ってしまったように。我々もまたあまり話すこともなくリスボンに戻った。この旅の同伴者であったイベリア半島のオレンジジュースに別れを告げてしまうと、岬で着いた土ぼこりを払って衣服をキャリーケースにしまった。
空港に向かってリスボンを歩くときも見慣れた光景に出会う。外壁を大事に残しながら内側を作り変える工事現場だ。あなたがまたいつ来ても、この街並みは変わらない姿で迎え入れる。
我々は再訪を期待して台風で荒れる東京へ飛び立った。