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セルフ弾圧は無邪気な狂気の産物で

ある人は云う。中学受験は父親の経済力と母親の狂気だと。

しかし、最高に狂っていたのは他でもない受験生本人だった、なんてこともある。

夢に向かってひたむきに頑張る小学生?否。あの時、私はひとりの狂信者だった。


私甘鳥茶奈は、中学受験経験者である。はるか昔、小学校4年生の頃、ある中高一貫校(任意の学校を代入して読んでほしいという意味で、以下これをNとする)の学園祭を訪れて、雷で打たれたような衝撃を受けた。

(自分の進む学校はNしかない。自分はNにしかいない。絶対に)

とっても短い人生で初めての「目が覚める経験」だった。

その日から、なんとなく塾の宿題をこなすだけだった私の目の色が、文字通り変わった。Nは、世間的には難関校と言われるところだった。なんとしてでも2年後には合格ラインにまで学力を追いつかせねばならない。それほど学力の高くない自分にできるだろうか。……違う。「できる」、「できない」の話じゃない。絶対そこに進学するのだ。そのためならなんでもする。

小4、小5では旅行に行ったり、ゲームをしたり人並みに遊んだが、小6となりいよいよ受験の正念場となると自らゲームを封印し、全てをNのために捧げる覚悟を決めた。残念ながら学年が上がれば魔法のように学力が上がるわけもなく、相変わらず私の成績はふるわなかった。Nの偏差値には全然届いていない。とても遊んでいる余裕はない。特に算数が苦手で、6年生になっても1から10までの間に整数が10個あることがどうしても理解できず分数の四則演算もおぼつかないという酷い有様で、しょっちゅう先生を呆れさせていた。自分でもそれを痛いくらいにわかっていたから、持てる時間と体力全てを算数に捧げた。あのとき突如として脳内に飛来した「Nに通っている」イメージを現実のものにするにはあちらが定める水準の学力が必要だ。学力が足りていないのだから、全てのリソースを割いてでもその水準に学力を到達させなければならない。算数はじめ、苦手分野を克服して学力を底上げしないことには合格は望めない。娯楽?そんなのありえない。リソースの無駄遣いだ。考えるな考えるな。ゲームのこと、流行りのテレビ番組のこと、好きな音楽のこと。体力・気力・時間、持てるリソースの少しでも余計なことに割いたら、お前はNに受からない。とにかく今は、「算数・国語・理科・社会」以外のことを考えてはいけないのだ。受験が終わったら、好きなだけ余計なことを考えれば、やればいいのだから……。

自己暗示は、いつしか信念に、執着に変わっていた。我が人生、Nに入ることと見つけたり。来る日も来る日も、一秒を惜しんで朝から晩まで机にかじりついた。余暇の読書は、暗記事項を頭に叩き込む時間に変わった。学校行事なんて邪魔者でしかなかった。間違っても重要な役職を課されたりしないよう、全力で逃げ回った。12歳の子供が、公園で駆け回ったり、お友達の家でおしゃべりしながらお菓子を食べたりもせず、小さな部屋で一日中問題集と向き合って無言でペンを動かし続けている。はっきり言って異常事態である。

でも、私は最高に幸せだった。確実にNに、Nに近づいているのだから!それは、多くの同年代の子供たちがする遊びよりも、はるかに大きな快楽とよろこびを私にもたらした。

気づいたら、Nに関すること以外には興味が持てなくなっていた。

そして最後の冬が来た。そこまでしても、Nの求める偏差値には到底及ばなかった。ここまで狂っても。やっぱり根本的に学力が足りてないのだ。12月に行われた志望校別模試の結果なんてそれはそれはひどいものだったらしく、先生方はこの痛々しいまでに健気でまっすぐな12歳を傷つけまいとその結果を伝えないという選択に出た(後日談)。当の私はというとこの模試の出来は最高だった、やはり自分はNに選ばれる人間なのだ、と有頂天だった。まったく幸せなやつである。そして、仮に模試の結果が悪くても本番で受かればいいのだから無問題だと考えていて、大して気にもとめなくなっていた。ほんの2年、3年前には成績が下がるたびに新鮮にショックを受けてヒンヒン泣いていたのに。人間、人生を賭けた目標を前にするとありえんくらい肝が据わるのかもしれない。たとえ12歳の子供でも。

そんなわけで、模試の失敗にもめげることなく最後の1ヶ月も順調に狂い続けて、いよいよNの入試本番を迎えた。短い人生で一番、清々しい朝だった。Nのために全てを捧げた。やれるだけのことを、いや、それ以上のことをやった。我が人生に一片の悔いなし。いざ、憧れの存在と真正面から対峙する時-。まるで少年漫画の最終回だ。

結果は、合格だった。Nに合格したのだ!あのNに、所属することを許されたのだ!それはもう、喜んだよね。私の合格を祈ってくれていた人たちも喜んだ。祝い疲れて夜が明けて、さて、4月の入学までしばしのモラトリアム。何をして遊ぼうか-。

……あれ、何がやりたかったんだっけ。

生活から「算数・国語・理科・社会」がふっと消え失せると、私は抜け殻になってしまった。考えてみれば当然である。決して「算数・国語・理科・社会」以外のことに意識を向けてはならぬといわばセルフ弾圧を受けていたのだから。急に、「はいおしまい!何か他のことをしましょう!」と言われても困ってしまう。あまりにも緩急の差がデカすぎる。富士急もびっくりだ。

何がしたかったのか分からなかったその子供は、とりあえずゲームをした。ポケットモンスター ダイヤモンド・パール。来る日も来る日も、こたつの中で十字キーを繰り続けた。1ヶ月もすれば、ストーリークリアどころか裏技もだいたい試し果たし、やることがなくなってしまった。子供は「ヒマ〜、ヒマ〜」と鳴くようになった。習っていたピアノで難しい曲に挑戦してみる、作曲、古代中国史や漢字についての調べ学習。やってみたいこと、興味があることはいくらでもあったはずなのに、どうやってそれらを始めればいいのかも分からなかった。可哀想に、この子供は「算数・国語・理科・社会」以外の物事への熱中、すなわち「楽しみの基礎体力」を知らずに育ってしまったのである!長きにわたるセルフ弾圧のせいで!

そうこうしているうちに入学手続きやら入学式やらがやってきて、晴れてNの中学生となった。中学生になってからも試験で高得点を取るためのいわゆる「お勉強」にしかアイデンティティを見出せず、成績上位をキープし続けたものの心のどこかには虚しさを抱えていた-

なんてことはなかった。ひとことで言うと、勉強しなくなった。難関中学というだけあって、周りは頭の切れるやつばっかりだった。皆、先生の説明を倍速で理解していく。脳味噌に最新のOSインストールしよるんか。往復3時間の遠距離通学も手伝って、授業についていくだけで精一杯だった。そして考え始める。頑張らなくてもいいか。

初めての定期テストは6割くらいだった。まあ皆このくらいだよな〜と軽い気持ちでクラスメイトたちに聞いてみたら、当たり前のように8割取っててビビり散らかした。「バカ」と心ない言葉をかけてくる者もいた。身も蓋もねぇ。完全に心が折れた。やべえとこ来ちまった。俺、無理だ。

やっぱりゲームに逃げた。目的があったわけじゃない。どうせやるなら戦略を極めて対戦ゲームで世界一を目指すとかしてもよかったわけだけれども、そんなことも思いつかず、箱庭の大将になる束の間の達成感で慢性的な不安感がもたらす疼痛を紛らわした。一応美術部には入っていたけれど、「楽しみの基礎体力」の欠如ゆえ根気強く作品に向き合うことができず、部室でもゲームばかりしていた。そんな無気力そのものの中学生を見て、周りの大人は絵でも音楽でももっと何かに打ち込みなさいと言ったけれど、そもそも打ち込むって何だよ、どんな状態のことを指すんだよ、とひたすら困っていた。そんなこと、聞かれた方だって困ってしまうだろう。「何かに打ち込む」というのはお教室に通って、「打ち込み方」という教科書を開いて、先生に教えてもらって身につけることじゃないんだから。

セルフ弾圧の爪痕は、思った以上に大きかった。中学受験から15年近く経った今でも何かに興味が湧くたびに、「でも今は他にもっとやるべきことがあるのではないか」の思いが頭をもたげ、ワクワクを押さえつける。「やるべきこと」以外に熱中することへの罪悪感がある。そのフラストレーションを紛らわそうとしてスマホやゲームに流れて時間だけが過ぎてゆく。自分に巣食う宿痾である。もっと器用に、軽やかに生きられる人でありたかった。

しかし、これは一番大事なことだが、私は中学受験を悪者にしたいのではない。同じく中学受験を経験していても、小学生の頃にスポーツや芸術など受験勉強以外の分野で成果を上げている人や、学校行事に積極的に参加して思い出作りと経験値獲得を達成していた人だってたくさんいるので、これは中学受験ではなく自分の性質の問題であると判断せざるを得ないからだ。そして何より、なんだかんだ言ってもやっぱり楽しかった。志を同じくする仲間たちが教室に集い、先生も交えて冗談を言い合って笑い合ったことなどが、懐かしく思い出される。今でも交流が続いている友人もおり、あの頃と同じように互いに励まし合っている。

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