なら国際映画祭2024NARAtiveJr「Muffin's Law」作品&メイキング上映と舞台挨拶についての感想
「Muffin's Law」
天理市に住む三人家族。主人公は数学が苦手で落第の危機を迎えている。しかし娘を信頼しおおらかに接する母と、心配性で「大丈夫なの!?」が口癖の父に見守られながら、学校では数学教師であるアダム先生の助言から数学と自分の好きなものを結びつけることで数学の面白さに気づき、前に進んでいく物語。
https://nara-iff.jp/2024/program/narative/detail/?id=muffins_law
・まず主人公から生きていく力、内面から出てくる輝きをすごく感じる映画でした。それは若さであったり、前に進もうとする力であったり、壁を乗り越えたあとの晴れやかさであったりするのかなと思いました。その進む力をくれた周囲の人々(両親や友人、学校の先生)も全てが温かい映画でした。
・今作はほぼミラー怜監督の実話ということで、主人公が等身大の女の子なのが良くて。分からない勉強は退屈だし、未来に向けて具体的な想像や行動ができるでもないから身も入らないし、遅刻して教室に入れなかったら、頑張って急いだだけに嫌になっちゃうし。まだ子供らしい子供だけど大人になる途中であることも事実で、成長の過程として誰もが通る場所で。でも、そこを主人公の両親がそれぞれのやり方で見守ってくれることは誰にでもあることじゃなくて、素敵なご家族だなぁと心が温かくなりました。
母親はおおらかで明るくて、たとえ娘の成績が悪かろうが小言を言うわけでなく「大丈夫!」と胸を張って言い切るが、娘が帰ってきて落ち込んでいる雰囲気を察したら昔、作った玩具の糸電話を出してきて話しやすい雰囲気を作ってくれる。
父親はその逆で、娘の成績を見て頭を抱える。落第したらどうするの!と動揺するけど、母親は大丈夫と言うばかりなので「ちゃんと心配してあげて!」と大騒ぎ。そもそも主人公の友人が父親の「大丈夫なの!?」を茶化して真似するくらいなので、普段から大変な心配性なんだと思います。それなのに実際に娘に対しては成績のことや心配を直接は伝えず、あくまで母親との話で済ませる距離感が絶妙でした。きっと頭の良い父親なんだと思います。考えていることを口に出すまでに、特に大切な人だからこそ時間をかけるというか。いま口に出しても良いことだと思えなかったら口をつぐむ理性があるというか。普通だったら成績のこととか、将来のこととか、言いたいことはたくさんあったでしょうに。たとえちょこっとだけでも娘に直接、心配をぶつけなかったのは本当に良いお父さんだなって。
この夫婦、娘の落第危機に関してスタンスが真逆なんですけど、ある場面で、ふ、と半ば母親に押し切られる形じゃないですが、父親の気配が緩むシーンがあって。娘への信頼もそうですが、娘に一番近い場所で見てくれている人がこういうのだし、大丈夫なんだろう、っていう安堵と変化のようなものが見えて、この夫婦はこうやって色んな問題を乗り越えてきたのだろうなと思えました。
・母親役の松尾翠さんは今回が俳優として初めてのお仕事だそうで、存じ上げなかったのですが以前はアナウンサーをされてらしたんですね。舞台挨拶でテレビは5秒黙ったら放送事故という世界らしく、彼女は5秒黙っていられないと河瀨さんからお話があり、会場の笑いを誘っておりました。御本人も河瀨さんから映像言語というものを教えてもらった、今だったら(Muffin's Lawは半年前の作品なので)言わないセリフがある、とおっしゃっていました。
そんな方が「キャラクター的に無理じゃなかった」とおっしゃった母親役。明るく元気で見ているこっちまで前向きになれる様子がピッタリとはまっていて、とても初めて俳優のお仕事をされたようには感じられませんでした。
・父親役の田邊和也さんは舞台挨拶で話を振られた一発目、河瀨さんから立ってみてほしいとの要望を受け立ち上がったところ、信じられないくらいスタイルが良い。俳優だけではなくモデルの仕事もしているなど紹介があったあと
河瀨さん「こんなん天理にいるか!?」
田邊さん「じゃあキャスティングしないでくださいよ笑」
というやり取りがあり、会場が笑いに包まれておりました。でも今回、だからこそ田邊さんは父親がどうして天理市にやってきたのか、から役を作ったと田邊さんの役作りの話へ。田邊さんは撮影の何日か前から天理市に入られて、河瀨さんの助言もあり町を歩いたりして空気を感じてみたそうです。それで「浮いてるなぁ」ってご自身でも思ったそうで。
劇中で父親の仕事シーンが少し映るのですが、家族と朝食をとる横でタブレット片手にイヤホンして何やら早口の英語で数字とか色々話してらしたので、なんかそういう取引市場の仕事の人!?というのが個人的な印象でした。だから、どこでもお仕事自体はできるんだろうなって。あと今回の父親役は娘の友人に真似されるくらいの口癖「大丈夫なの!?」に大げさな身振りがついているし、表情筋も割と大きめに動きます。だから父親含め家族3人とも海外在住期間が長かったのかなぁとか、それから天理に移り住んできたのかなぁ、とか色々、考えられました。
それからエンドロールの直前かな?主人公が今までを思い返すシーンで出てくる親子3人が寄り添っているショットが本当に柔らかい表情と光に溢れていて、陳腐な単語ですがめちゃくちゃな「愛」を感じずにはいられませんでした。両親がスタンスこそ違えど娘のことを心から考えているのが伝わって、作中ずっと温かい気持ちになれました。
・それから数学教師のアダム先生。彼が主人公から投げられた「先生は数学のなにが面白いんですか?」という質問に「数学は全てに繫がっているから(面白いよ)」と答えてくれたところから、主人公の気持ちは大きく動きます。
舞台挨拶中のミラー怜監督のお話などから、アダム先生は本当は音楽の道に進みたかったが、堅実な理系や教師の道を選んだ旨の説明がありました。そういう社会的な知識を得て自由に生きていけなくなったことを、作品の冒頭、りんごを間に挟んだ親子の会話で知恵の実を食べたアダムの話題で匂わせていたようです。
そしてアダム先生を演じられていたネルソン・バビンコイさんが、アダムはまるで自分のようだと。バビンコイさんも音楽で食べていこうとしていたことがあり、実際アダム先生も数学が繋がっているものとして例にあげたのは音楽でしたし、そんな彼が劇中、ギターで弾き語る様子がそのまま挿入歌になっていたりします。
バビンコイさん、前日はオープニングセレモニーで通訳と司会を勤められて、Muffin's Lawでは出演から挿入歌までこなして、なんて多彩で大忙しなんだろうと驚きました。
アダム先生は両親に比べたらもちろん厳しい部分はあるけど、主人公の未来のために手を差し伸べてくれて、数学も彼も敵ではない、というのが早々に分かって良かったなと思いました。しかも試験で送ってくれるエールが憎いくらいカッコいいですよ!
・他にも天理市の市長が登壇されてらして。天理市が撮影に協力したことや、市長自身も作品に出演されていることは事前に知っていたのですが、お話をうかがったら、その協力具合が尋常ではなく!
まず河瀨さんからの連絡はいつも突然なのだと。しかも今回は家族の暮らす家がないからと市長のお家をロケ地として貸してくださったらしく。市長には受験生のお子さんがいらっしゃるそうなのですが、河瀨さんは「奥さん説得するから!」とおっしゃって、気づけばお家には照明やら機材が運び込まれ、すっかり包囲されていたそうです笑
家主である市長は半畳ほどのスペースで仕事をされていたらしく、なんてご苦労を;;と思いつつ笑ってしまいました。申し訳ありません😂
また市長のお家は薪ストーブだったそうで、それはつまり主人公一家の住む家も薪ストーブになるというわけで。市長から田邊さんが休みの日にも家に来て薪を割っていたり、その成功した様子を見て松尾さんがワー!って盛り上がっていたり、撮影場所で普段から田邊さんが松尾さんをママと呼んだりしていたりと、カメラに映らない場所での役作りのお話があって、とても有り難い気持ちでした(オノ壊しちゃったそうなのですが)。
・ちなみに父親の口癖「大丈夫なの!?」は田邊さん発端ではなく、最初にやったのはモノマネの方の主人公の友人役、山本あいさんで、田邊さんはその映像を見てやったとのことなので、マネのマネ(?)だったそうです。撮影の順番で実際と変わるの面白いなと思って聞いていました。
・そして今回は作品を上映したあとにメイキングの上映もあったのですが、司会の方が「むせび泣いた」とおっしゃった通り、私も思わず目が潤んでしまいました。この年になると若い方が頑張ってらっしゃる姿だけで涙腺にきてしまうのですが、ミラー怜監督にかかったプレッシャーと責任を思うと見ているこっちまで胃が痛くなってしまって。
舞台挨拶で聞いた色んなお話が混ざってしまうのですが、監督に求められるリーダーシップを発揮するには、作品を具現化する明確なビジョンがなければならないと思うのです。そうでなければスタッフやキャストの方にどう動いてほしいか伝えられませんから。ですがミラー怜さんは英語話者で、もちろん日本語もお上手ですが英語よりは伝えづらく、その上、周囲は河瀨さんを始め河瀨組と呼ばれる第一線で活躍している方、つまりミラー怜さんよりずっと経験と知識と技術のある方ばかりなのです。そんな方たちに自分の未熟さを承知の上で、こうしてほしい、と伝えることはどれほど大変だったろうと思えてなりませんでした。
撮影が終わって河瀨さんとハグしたときのミラー怜監督の表情が、それまでの日々を物語っていて胸が締め付けられるようでした。そんな思いをしても映画を作りきって今回、上映してくれたことにどれだけ感謝しても足りません。
でもメイキングを見ていると河瀨さんやスタッフの皆さんが慎重に言葉を選んで伝えてくださっているのも伝わってきました。河瀨さんが今回のことで映画を作るためにたくさん学ばなければならないことがあると分かってくれたら、とおっしゃっていたのが厳しくも温かい言葉で大好きです。
メイキングの1シーンで田邊さんもミラー怜監督とハグしてから離れ際にサムズ・アップして励まされているシーンがあって、素敵な現場だったのだろうなぁって思いました。
・また河瀨さんが松井遥南さんについてお話してくださった中で、彼女は有名な野球選手の娘さんで、まず最初はそう見られると。それから海外に行けば日本人など、彼女に乗っかっているものは非常に多く、彼女自身を見てもらえない、それがハンデになっているのだと。
でも松井さんは韓国でモデルをして、日本に帰ってきて事務所に所属し、今回の作品で主演を飾りました。全て彼女が自分の力で勝ち取ったことです、とお話されて、それを受けた松井さんが泣いてしまう場面があり。もうそれだけで彼女がご自分の出自でどれだけ苦労してきたか伝わってきて、おばさんはまたつられて泣いてしまいました。
それに対してミラー怜監督が「現場みたいですね」と言って和ませてくださったのが、人柄が出ているようでとっても好きになってしまいました。
・最後に河瀨さんがミラー怜監督や松井さんなど、これからの映画界を引っ張っていく世代についてお話してくださったのですが、今の時代、国境があるようでなくなってきていると。日本で暮らし日本の文化を知っていながら英語ネイティブで頭の中も英語で思考するような世代が映画界に出てきている。そうなると言いたいことを誰にどう伝えるか、具現化するかは言語の問題ではなくなってくる。言語の壁を超えて、コミュニケーションや表現力で何を伝えていきたいかが求められると。日本のアイデンティティを持ちながら英語で表現していく世代が出てきたこと、それをこの映画祭から発信できたことをとても喜んでいらっしゃいました。
またこの話題についてバビンコイさんは、日米両方の現場を知っているため、今回の作品に参加して希望が持てたとおっしゃっていました。お互いに知らないからアメリカでは日本の表現が不足しているし、日本ではアメリカの表現が不足しているし。アメリカってこうでしょ、日本ってこうでしょ、という偏った作り方をしているそうなのです。それが今回の現場には両方知っている、両方話せる人が多くいるため、表現の幅が広くなると。バビンコイさん自身が日本で再現VTRなどの大げさでステレオタイプのお仕事をされていたこともあり、当たり前のように多文化が土台の現場だったことに、凄く感動していらっしゃるようでした。
先日エミー賞を席巻した「将軍」も撮影前には日本の表現に関して900ページに及ぶ分厚いマニュアルが配られたそうで、本来ならば知らない文化を表現するには、それくらいの準備や知識がいるのだと思います。そのハードルを超える世代が出てきているのですから、そりゃあ未来は明るい!と思えました。
・この話題のときに河瀨さんが田邊さんにお父さん全然喋らないじゃん、と話を振ると、お父さんだから陰から見守っているんです、とおっしゃっていました。でも田邊さんにも海外作品に参加するとき日本のアイデンティティを持って表現することへの意識などうかがってくださり、田邊さんももちろんと応じてらっしゃったように思います。その後なんだか田邊さんの次回作の話になりかけて「その話はあとでしましょうか笑」と打ち切られてしまいました。
・なら国際映画祭は若い世代の方に撮らせて、見せて、審査させて、と映画にとことん携わらせてくれる良い映画祭だなと今回、初めて参加して思いました。
また出品された作品の国際色豊かなことからも分かりますが、文明の発達により以前に比べればコミュニケーションの時差や距離の制限がなくなる中、一つの文化にとらわれない世代が新しく作ってくれる映画が、とても楽しみでなりません。
たくさんの若い方が、たくさん映画を作ってくれますように。ミラー怜監督の次回作も、心より楽しみにお待ちしております。
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