【雑記】投稿をためらう理由
人との関わりが増えれば増えるほど、いい人との出会いもあるし、敵意を向けてくる存在に苦しめられることも増えてくる。
一度でも疑心暗鬼に陥ると誰が味方で誰が敵か分からなくなる。
本当は敵でもなんでもなかった人にまで「この人は〇〇の共犯者じゃないか?」という疑いの目を向けて不信感を抱いてしまう。
逆に人の良さそうなふりをして近づいてきて個人情報を抜き取ろうとする悪意に満ちた人物もいるが、騙すためにその表面を綺麗に磨けば磨くほど、その人は良い人に見えてしまう。
そこが仮面を被った人間の怖いと思うところだ。
霊能力を持ったアンチ問題を経験してから、霊感とか霊能力にむやみやたらと興味を示してはいけないと理解したが、痛い目に遭う前に気付ければよかったのにという後悔もある。
しかし、人間は痛い目に遭わなければ学習しない生き物だ。
痛い目に遭ったからこそ慎重に扱わなければならないことが分かっただけ進歩はあったのだろう。
この経験もいつか誰かの役に立てればいいと思ってnoteに書いているわけだが、書く時もドキドキハラハラしながら書いている。
アンチ問題とは無関係だった人に迷惑をかけないだろうか?
悩みに悩みながら神仏からのメッセージ2を公開したのだが、アンチが普通の人ではなくて霊能力を持った人だった、という点で書くのを何度もためらった。
霊能力を世のため人のために使っている人も多いと思う。
だから霊能力を持った人が誰かのために動く姿を見るたびに感動するし尊敬する。
悲しいことにその力を悪用する人だっているだろう。
ごく一部の心無い能力者の嫌がらせのせいで、私は深く傷ついたわけだが、同じように傷つく人を出したくないために、慎重になって欲しいという警鐘を鳴らしたいとも思っている。
問題は、それをどういう形で書いていくか・・・内容について随分悩んだ。
ただ「気をつけた方がいいですよ」と書くだけなら誰にでも出来るだろう。
しかし、自分の体験したことも一緒に書くことでより深みが増すと思う。
いや待てよ、本当に書いていいのか?
内容が内容だけに辞めた方がいいんじゃないのか?
何か月も悩んだ。
その間にも怪談話を書いては闇の刺客に怯える日々が続いた。
その度にアンチ問題の記事を書けばよかったと後悔する。
いざ、noteに文字を入力して確認すると、やっぱり内容が特殊だからやめた方がいいと迷いが出る。
こんな内容を書くような人と関わると巻き添え食うかもしれないと警戒されるかもしれない、今まで応援してくれていた人が私から離れていくかもしれない・・・という不安も湧いてくる。
こういうアンチ問題が少しでも減ってくれることを願いながら、どこまで書いていいか、悩みに悩みながら毎日noteを開いては閉じている。
ネトゲをしながら愛犬の写真を眺めながら、違うことに意識を集中しても、問題は私の目の前に降りてくる。
Twitterのおすすめにアンチに悩んでいる人のツイートがポッと出てくると、嫌でも向き合わされる。
私のようにアンチ問題で悩んでいる人は他にもいるんだ、ツイートする勇気があって凄い。
私は何をやっているんだろう。
noteを開く。
ダメだ、書けないし書きたくない、怖い。
こんな問題誰に相談すればいい?
霊能力を持った人の悪意ある行動は被害に遭った人にしか分からないものだ。
目に見えない領域だけに誰に助けを求めればいいのか分からない。
ずっと一人で悩まなければならない。
運良く逃げ切れれば時間が解決するだろうが、それでも毎日が恐怖との戦いだ。
そういう人が私のnoteを見て「同じような苦しみを抱えている人が他にもいるんだ」と少しでも気持ちが楽になってくれればいいのだが。
そのためには私が立ち直って元気に過ごしている姿を見せなければならない。
悩みながらも少しずつ歩いて行く姿を・・・。
この記事は決して霊感強い人や霊能者の存在を否定しているわけではない。
一部の心無い人物の言動で怖い思いをさせられて泣き寝入りするしかない人の心の声を文字にしたものだと理解していただきたい。
怪談話をnoteに公開してから立て続けに起きたアンチ問題と闇の刺客について確認したい方はこちらをチェックして欲しい。