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第9回 相談note

はい。ブルーバレーことBlue Valleyです。

第9回相談noteのお時間がやってまいりました。


先日の第7回相談noteにて、記事タイトル云々の話をさせて頂きました。

そしてスキの数で皆さんの意見を募ったところ、なんと2スキという、非常に多くの方が、レイアウトや記事タイトルを変えるべき、と考えているという結果になりました。


そこで、次で記念すべき第10回目の相談noteとなるので、そこを節目に記事のレイアウトを少し変えてみることにしました!

私も、記事に変化を付けたいと思っていたところでしたので、良いタイミングになったかなと思います。


そのため、次回は恐らく「第10回 相談note」という記事のタイトルではないので、頑張って探してくださいね笑


さて、今回のご相談は、

「最近エッセンシャルワーカーという言葉を頻繁に聞きますが、どうして彼らはその仕事の重要性にも関わらず、地位や給料が低いのですか?」

ということです。


コロナ騒動の中、その重要性にスポットが当てられる機会が多くなったエッセンシャルワーカーについてのご相談、というか質問といった感じですかね。

本当に、彼らの働きには感謝しかありませんね。

これまで日本という国が回ってきたのも、現在のコロナ禍で日本という国が崩壊せずに済んでいるのも、そして今後の日本の人々が安定した生活を望めるのも、間違いなく彼らエッセンシャルワーカーのおかげに他ならない、と言っても過言ではないでしょう。

しかし、ご相談内容の通り、どうして彼らは社会の中で注視される機会が少ないのでしょうか。


今回は、エッセンシャルワーカーたちが置かれている状況を分析して、職業と社会的地位の関係性について明らかにしつつ、彼らの地位と給料の低さの原因について説明していきたいと思います。

今回の分析は、少々過激かつ偏った考え方の内容も含まれますので、それらはあくまで一人の人間の一意見として捉えて頂けると幸いです。


目次

1:結論

2:職業の地位

3:「人」か「モノ」か

4:回答



1:結論

では早速結論です。


と、いつものように言いたいところなのですが、今回の相談内容に関しては、人によって意見が大きく分かれると思いますので、最後までこの記事を読んで頂いて、ぜひご自分の意見を生成して頂ければと思います。


2:職業の地位

まずは、以下の画像をご覧ください。

スクリーンショット (17)

この表は、ロバート・チェンバースというイギリスのサセックス大学で開発問題の研究員をしていた人が、2000年に出版した「参加型開発と国際協力」という本の中で使用した図です。

この図は各列で独立しているので、水平ではなく列ごとに見てください。


もうすでに、この表を見ただけで憤慨された方もいるかもしれません。

あるいは、表に記されている表現方法に異を唱えたい方もいらっしゃるかもしれません。

しかしちょっと待ってください。

この表は、今後の説明において重要な役割を果たすこと、この表の表現が説明の中で鍵になってくること、20年も前の人の考えであることなどを考慮して、ひとまず読み進めて頂くことをお願いします。



まずは、大前提となる職業の話をしたいと思います。

全ての職業は、グループ分けすると実践的学術的のどちらかに分類されます。

実践的な職業と言えば、医療、農業を始め、エッセンシャルワーカーの多くがここに属されることになります。

学術的な職業と言えば、物理学者、経済学者やコンピューター関連の仕事などがここに属することになります。

実践的な職業では、より実践的な行動に、学術的な職業では、より新しい理論や解釈に、高い価値が置かれます。


上記の表で言うと、臓器移植の専門医や外科医などが、医療界隈では高い地位にあり、看護師や民間療法の実践者、そして研究のためのサンプルとなる病人が低い地位であると言えます。

農業では、バイオ研究や遺伝子研究を行う研究者、高品質な作物を大量に育成できる農家などが高い地位にあり、一般的な農業を広める人や、農家の人は低い地位にあるのです。


これは20年も前の例ではありますが、現在でも高度なITの技術者(学術的)と、ゴミ収集を行う人(実践的)では、その待遇や給料に差を感じませんか?

同じように、現在でも新しい理論や技術を生み出す人が厚遇され、そうした理論や技術とは関係なく現場で働く人は薄遇されてはいないでしょうか?


チェンバースがこのことを指摘したのは今から20年以上前のことですが、現在においてもその現状に大きな変化は見られないように思えます。


まとめると、職業としてオフィスワーク中心であったり、新しい発見をしたり、より高度な技術を必要とするものが、社会的に高い地位を獲得します。反対に、フィールドワーク中心であったり、既存の理論や技術を用いて仕事をしたり、難解な技術を要しないとされるものが、社会的に低い地位に甘んじることとなるのです。



職業の地位に関する話をしたところで、次はこちらの図をご覧ください。

スクリーンショット (21)

これも、先ほどの図と同じくチェンバースが「参加型開発と国際協力」で用いられた表です。


表は見たままですので、敢えて説明する必要はないかと思いますが、ざっと全体について解説しておきます。


・教育、訓練期間が長い人が高い地位。短い人が低い地位。

・専門家が高い地位。広範な実践者が低い地位。

・男性が高い地位。女性が低い地位。

・影響力が強く収入が多い人が高い地位。影響力が弱く収入が低い人が低い地位。

・就業場所や居住地が都会の人が高い地位。地方で就業する人や居住する人が低い地位。

・数字や精密さを重視する人が高い地位。その場での判断や倫理観を重視する人が低い地位。


といった感じです。


この表は、一枚目の表とは異なり、実践的・学術的関係なく共通して言えることです。

この表も20年前のものですので、現在との多少の違いはあります。

例えば、今は場所に関係なく高度な仕事ができるようになってきましたし、影響力=収入=地位、な部分もあると思います。

それでも、大半の基準が現在でも変わらず地位形成に重要な役割を果たしています。


特に、ジェンダーの差には驚かされます。

例えばノーベル賞の受賞者には、男性中心の傾向がはっきりと表れています。

スクリーンショット (23)

これは、2019年までの各ノーベル賞の受賞歴を表したものです。

普段何気なく見ていたノーベル賞の授賞式も、こうした事実を知った後には異様な空間のように見えるかもしれませんね。

ジェンダーに関する話は次の章でも取り上げます。


まとめると、社会的に高い地位の人と低い地位の人の間には、職業の内容に関わらずいくつもの差や違いがあることが分かります。



3:「人」か「モノ」か

ではいよいよ、こうした社会的地位の差が生まれる根本的な原因について説明していきます。


最初に、上記の表を参考にしながら、地位の高い人たちに共通する点について挙げていきます。


地位が高い職業に特徴的なのは、扱う対象がモノか、もしくは人をモノのように扱っていることです。

彼らは圧倒的な物質主義者であり、目に見えるものや世界を信じてその世界の物事を相手に仕事を行います。

物理学者は当然物理現象を相手にしますし、生物工学者は生物を、細胞と遺伝子によって作られた一つの構造「物」として捉えます。

経営者は、人材(これも「人」を「材料」として捉える言葉ですからね)をまるで会社の血肉のように捉えて、いかにして会社を効率的に回すかに腐心します。携帯会社は、ユーザーの位置情報から人の流れを単純な数値として捉え、その数値のみで状況を判断します。

外科医などは、手術を行う際に患者に麻酔を打って、人を「モノ」として扱います。経営者や管理職というのもまさに人を「モノ」として扱っている良い例ですね。


また、彼らの就業環境は、全てが計算可能な範囲内に留まり、就業環境の状態が標準化されている空間であることが多いです。

物理学者や工学者は実験室にこもり、外科医は完全に準備が整えられた手術室で仕事を行います。

農業でさえ、気温や湿度を一定に保たれた環境下で、均一に並べられた作物を育てます。

全てが標準化され、ある一定のマニュアルに従った作業が、多くの高い地位を占める職業で行われることです。


なおかつ彼らは、とある一つの作業に特化しています。

移植外科医は移植手術に特化していますし、パイロットは飛行機の操縦に特化しています。

つまり、どれも計算可能な狭い範囲での事象を取り扱っているスペシャリストなのです。


決定的なのは、やはり男性が多いことです。

この事実に関してはいくつもの理論が議論されているが、少なくとも20年前は、男の子は「モノ」に、女の子は「人」に馴染みやすい環境であったことは分かっています。

男の子が車や電車に関心を持ち、ごっこ遊びでは強い権限を持つリーダーの役を担うことも珍しくありませんでした。そういえば、ワン〇ースの主人公ですら、メカニックなものに強い関心を持っている描写がありますよね。

対して女の子は、友達とのおしゃべりを盛んに楽しみ、おままごとと言う典型的な人と人との関わりを再現する遊びをしたりします。


これらはあくまで20年以上前の子供たちの育つ典型的な環境です。

しかしこうした幼少期の興味関心事項が、将来興味を持つ分野と関わりがあるかは、十分な議論を要するところであるとされています。


ですが、先ほどのノーベル賞の事例を見てみると、こうした仮説にもある程度の信憑性が増すのではないのでしょうか。

とりわけ医学・生理学や化学、物理学や経済学という分野は、まさに典型的な地位の高い研究分野です。

こうした「モノ」や「数字」を扱う仕事や学術が、高い地位を占めるのか、という問題については多くの理由が挙げられます。(後述します。)



続いて、地位の低い人たちに共通する点について挙げていきます。


地位が低い職業に特徴として、扱う対象が人か、人によって構成されるコミュニティであることが多いです。

彼らは、それぞれが全く異なる特性を持った人やコミュニティを相手にしており、非常に柔軟な対応力が必要とされます。

医療従事者は、患者の症状に合わせて判断を下さなければいけません。

一般的な農家の人や漁師は、その日その日の天候や作物・海の状態を見極めながら、適切な行動を起こす必要があります。


また彼らは、多様で常に変化し、制限されない環境下で働いています。

医療従事者は、日によって異なる患者や状態に合わせた異なる対応をしなければいけませんし、宅配の配達員なども、日によって異なった場所に異なった宅配物を届けなければいけません。

電気やガスに携わるインフラ業に従事する人も、問題が発生した場所を考慮した働き方をしなければなりませんし、小売業の従事者も、客の要求に迅速に対応する必要があります。

ある程度のマニュアルは存在するとしても、それを自分の目で見て判断できる人が、こうした職業に就くことになるのです。


学習期間や訓練期間においても、彼らは努力を要されます。

彼らは、その短い訓練期間にも関わらず、単純化できない複雑多様かつ困難な状況を扱うことになります。

ゴミ収集の人は、大した訓練期間を与えられないままに、重たく異臭のする他人のゴミを扱わなければなりません。

看護師も、医者程の準備期間を経ないままに、計り知れない量の仕事を行なえるようになる必要があります。

介護の現場でも、

こうして見ると分かる通り、その作業の複雑さにも関わらず、彼らは短い訓練期間の中で様々な作業を行うジェネラリストにならなければいけないのです。


そしてやはり、ジェンダーの問題です。

先ほど挙げたような理由の他にも、(特に日本では)男の子には勉強や運動を、女の子には芸術を中心に学んで欲しいとする傾向や、女性のキャリアが、妊娠・出産・育児のサイクルを経て中断されることなどが、女性の地位が低い特に大きな原因だと考えられます。



ここまで述べたように、人をモノのように扱う男性中心の社会が高い地位にあり、人と人として扱う女性中心の社会が低い地位にあるのは、距離を置いてみれば歪んだ世界ではないでしょうか?



4:回答

エッセンシャルワーカーが注視されない、もしくは軽視される現代的な一番の原因は、それが人でなくてもできる仕事だと思われているからでしょう。

ゴミの収集も、レジ打ちや商品の陳列も、宅配物の郵送も、介護や介助も、医者の助手としての医療従事者も。

全てロボットやAIに取って変わる可能性のある職業だから、人々が注視しないのかもしれません。


しかしこれはおかしな話で、チェンバースは20年以上前の、現代のように先端技術が発達する以前からエッセンシャルワーカーの地位の低さに異を唱えていましたし、ジェンダーやノーベル賞の問題も、今昔関係なく社会に横たわっている問題なのです。

エッセンシャルワーカーの薄遇は今に始まったことではなく、今回のコロナ騒動で注目を集めたとはいえ、その現状を改善しようとする決定的な動きは今も見られません。


今回私が最も言いたいのは、仮に地位が高い職業と低い職業があったとしても、

それはお互いが存在して初めて成り立つものであるということです。


現在ゴミを回収してくれる人がいるからこそ、新たなゴミ回収の技術を心置きなく開発できるのであり、小売業に取り組んでくれる人がいるからこそ、その動きを参考にしたロボットや技術を生み出せるのです。実践してくれる農家がいるからこそ、作物の改良種を作り出せるのです。

どちらかが欠けては、どちらも成り立たないのです。

介護してくれる人がいなければ、そもそも人はもっと早く死に、介護ロボットの開発が必要とされないのです。被験者や彼らに定期的に投薬してくれる人がいるからこそ、研究者が新薬の開発に臨めるのです。

お互いがお互いを必要とする関係性なのであれば、それはもう地位が高い低いの話ではなくなってくるのではないでしょうか?

高い地位・低い地位の概念がなくなれば、ノーベル賞の問題や給料の格差といった問題は、根本からなくなるのではないでしょうか?


少なくとも今の日本では、この格差が根強く存在しており、誰もそれに強い抗議の声をあげてはいません。

大切なのは、自分の仕事に満足することであり、給料や地位の高い低いではないと思います。

しかし、自分の職業に対していわれのない罵声を浴びせられるようなことがあれば、なりふり構わず抗議するべきだと私は思います。




今回はここまでとなります。

読了して頂きありがとうございました!

再三繰り返しますが、この記事はあくまで一個人の一見解です。

それに私は別にフェミニストでもなければ、チェンバースのいう地位の表が完全に正しいとも思いません。

ですが、記事内で取り上げた表や数値は事実であり、目をそらせ続けることのできない問題でもあります。


今回は明快な回答はご用意できませんでしたが、私の記事を読んで何か考えるところがあり、自分なりのエッセンシャルワーカーに対する意見を生成して頂けたら、それがこの記事と真反対の意見であったとしても、私は大変嬉しいです。


最後に、エッセンシャルワーカーに限らず、今も社会で働いてくださっている皆さん、ありがとうございます!

ご自分の体を出来る限り大切にして、自分がしたいことに思いっきり専念してください!

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