03
やりたいことはある。やってみたいことはある。
その前に自分自身が「不安」でしょうがない。
うまくいくのだろうか、できるのだろうかと?
どうするかというと、「逃げる」。
それを何十回と何百回と繰り返した。
逃げるしかない。
こんな「おぞましい自分」という存在から逃げて逃げて殺したくてけど、怖くて殺せない。
逃げてる自分すらおぞましいほど憎くて醜くて気持ち悪い人間だなんて常に考えてる。
今日も、これを書いている自分も、「おぞましい自分」でしかない。
「殺したい人間」がいるとするならそれは紛れもない「自分自身」という存在。
自分が嫌いだからという次元じゃない。
自分という存在は「生きていちゃいけない人間」という認識を持った。
だって、そういう自分を「信じてくれる人」はもうこの世界にはいない。
自分以外の誰かがいた。
それは結局、幻だった。
現実には存在しない。
幻は存在しないものだからありもしない幻想を求めた自分がまた「おぞましい」。
憎たらしい、殺したいほどに。
幻の人間にそれを求めていたのが間違っていた。
将来性と人間性のない自分なんて「この世界」には生きていちゃいけない。
だけど「死ぬことは罪」、「死ぬことが怖い」。
その二つだけで何とか生きてる。
たった二つの生きる理由で「おぞましくて憎くて気持ち悪い自分」は生きてる。
それだけの為に現実世界に存在する自分じゃない世界に逃げて生きてる。
何もかもから逃げたいけどそれは「赦されない」。
その現実世界じゃない「自分自身」を護るには「お金」の存在は切り離せない。
だから生きる上で働く上で自分自身が憎くても「現実世界に存在しない自分自身」を護ることができるのは、
「おぞましくて憎くて気持ち悪い自分」しかないから逃げたいけど行くしかない。
「それしかできること知らない人間」だから。
新しい場所よりも「現実世界に存在しない自分自身」という「今」に逃げる。
そこは「現実世界に存在する自分」じゃなくて「規範された世界に存在する自分」だから
自分以上のことを地道にやっていけばたどり着くことがわかっている。
自分の赦されるペースで進んでいける。
でもそれは「現実世界に存在する自分」が嫌いで「現実世界」そのものが嫌いで、
「死ぬことは罪」、「死ぬことが怖い」。
そこから逃げるための手段でしかない。
その二つから逃げるために結局、「現実世界に存在する自分」を憎んで
「現実世界に存在しない自分」をめでて、
「現実世界」と「未来」から目を背けて、
逃げるしかない。
逃げて逃げて逃げて。
逃げても何にもない、何もできない、何も得るものなんてない。
でも何もかも先送りにしてただ逃げる。
そこに残るのはただひとつ。
「おぞましくて憎くて気持ち悪い自分」は「死ぬことは罪」、「死ぬことが怖い」から
現実世界を今日も逃げる。
だって「自分自身」なんて、生きてて「いい生き物」じゃないから。
また逃げる。
もう逃げる。
けど逃げられない。
自分から逃げられない。わかっている。でも、殺したい自分はどうしたらいいの?
歌にもゲームにもアニメにも、
好きなものにそんな答えはないから。
結局、また逃げる。
「おぞましくて憎くて気持ち悪い自分」は「死ぬことは罪」、「死ぬことが怖い」から。