氷見魚市場と見附島
11月の終わり。石川県の親戚を訪ねるタイミングで、今年も能登半島へ足を伸ばした。ご存知のように1月1日の地震と津波で大打撃を受けて、復旧途中の9月には豪雨に見舞われた能登半島。出掛ける数日前にも震度5弱の地震があり、躊躇いはあったが出かけることにした。
旅の始まりは腹ごしらえから
自宅を出て国道41号を北上。まずは岐阜県下呂市萩原町の「大安食堂」に向かう。昨年も立ち寄ったが、朝9時から営業しているのでありがたい。早めのランチタイムは「とんちゃん定食」に「けいちゃん」をトッピング。テーブルの上のガスコンロに浅いフライパンのような形状の鉄板を置いて焼く。美味しすぎて前回はご飯をお代わり(無料)したが、今回は自重した。次の機会は焼きそばをトッピングしてみよう。
高山市内に入り、一刀彫の店で来年の干支の置物を購入。一番小さいサイズの物だが、ここ数年購入している。デスクの上で一年中眺めているが、経年による素地(いちいの木)の変化が良い味となっている。店の近くの飛騨国分寺で大銀杏を鑑賞後、富山県氷見市へ向かう。飛騨市古川町の数河高原辺りから路肩には雪。富山県との境を越えた「道の駅 細入」ではミゾレ混じりの雨だった。
氷見魚市場
氷見市内で車の燃料補給とスーパーでの食料品の買い出しを終えて「道の駅 氷見」へ。雨の中、車中に閉じこもって晩飯と仮眠。思いの外寒くなく、持ち込んだ「マイ暖」は使用することはなかった。氷見で車泊する目的は翌日の朝食。6時30分開店の氷見魚市場食堂で今回は寒ブリを食べる目論見である。
まだ薄暗い中、駐車場の選択に迷い、6時20分頃に魚市場食堂に到着。既に20~30人の人だかり。市場の風景に見入って整理券を取り忘れたことも重なって、30分近く待つことに。番号を呼ばれて店内に入ると暖かい。テーブル席に案内されタブレットで「氷見ブリ定食」を注文した。魚(刺身)の詳しい部位は知らないが、どれも美味しい。新鮮で歯応えあり、甘さあり、口の中に広がる旨さあり。ガスコンロでグツグツ煮たてていただく漁師汁(あら汁)は、魚の骨が可能な限り取り除かれていて食べやすい。何より体が温まった。車泊の前夜は、雨と時折吹く突風に怯んだが、大満足で氷見魚市場を後にした。
見附島(軍艦島)
被災状況をあちこち見て回ることが今回の旅の目的ではないし、氷見市に到着した時間は日没近かったし、雨も降っていたので周辺をしっかり見てはいない。ただ、昨年11月に珠洲市を訪れた際に見落とした「見附島」だけは見ておきたく、また1月の地震と津波で島の一部が崩壊したこともあって、旅行計画に組み入れた。
氷見市からは県道18号氷見田鶴浜線で山間部を抜け、「田鶴浜IC」から能越自動車道を北上した。途中、復旧工事による数ヶ所のシケイン(原則区間)があり、うっかり高速で突っ込むと事故を招く。路面は概ね良好だが、脇に目をやるとアスファルトが大きく捲れ上がった状態の道路もあった。現在能越自動車道の制限速度は60km(要確認)で、工事区間は40kmの表示あり。輪島市と穴水町の境にある「のと里山空港IC」から珠洲道路(サルビアロード)を経由して珠洲市に到着した。
弘法大師が布教のために、佐渡から能登へと渡る際に発見したといわれている。「見つけた!」というのが名前の由来らしい。以前は踏み石を利用して引き潮の時間帯は近くまで行くことが出来た。そんなこともあって周辺には「えんむすびーち」や「見附茶屋」、公園などが整備されている。が、今は人影もなくひっそりとしていた。島自体も正面から見れば軍艦島としての面影を残すが、裏側(南東側)は無残にも完全崩壊している。
ちょうど見附島公園の駐車場に到着する頃にも震度4の地震があった。車の運転中だったため気づかなかったが、能登半島の地震は今も続いている。撮影のため、海岸近くまで進んだが足元に押し寄せる波が不気味だった。見附島がある珠洲市宝立町は1月の地震で津波の影響が大きかった地域と言われている。
輪島市も訪れたかったが今回は見送った。「朝市通り」にあった焼魚が美味しい食堂は消失しててしまったし、地震・津波の被害が甚大で、そこに9月の豪雨。復旧は進まず、復興が見えない状態にあっては、「旅人」が行っても足枷になると考えたから。それでも来年の春には行ってみたいと思っている。被災地の方々にあっては、一日も早く平常が戻ることを願うばかりです。
旅行日:2024年11月29日〜12月1日