涼を求めて、新潟県の旅 1
人と出会えば、口から出てくるのは「暑いですね」の一言。例外なく今年の夏も日本中が猛暑だ。1週間後には立秋を迎えるが、2500年も前に作られた二十四節気の「秋」の概念が現代とはかなり変わってきているのは言うまでもない。どちらかというと、「暑さ寒さも彼岸まで」と言うワードの方がまだしっくりくる。
さて、涼しい場所へ行って、出来れば美味い物を食べて栄養を摂って、まだまだ続くと思われる猛暑を乗り切ろうと、有給休暇を取って新潟県方面への2泊2日の車旅を行った。メインは涼しそうな「八海山ロープウェイ」と「清津峡渓谷トンネル」だが、長岡市近辺の「寺泊魚の市場通り」と「高龍神社」を計画に加えた。
いつものように勤めを終えてからの出発。持病の腰痛がくすぶっており今回は登山は行わない。車中での調理も極力行わない予定。車旅に必要な最小限の物を車に積み込んで19時に家を出た。バタバタと準備するだけで大汗をかく。忘れ物は無いか確認したが、玄関先に電子蚊取りを置いてきてしまった。東海北陸道を北上し、北陸道に合流して米山SAを目指す。本当は「寒いほど涼しい」立山の雷鳥沢で野営して奥大日岳に登りたかったけど、テント泊は腰痛持ちに些か厳しい。
仮眠予定地の米山SAには日付が変わる頃に到着したが、間近になって車の燃料警告灯が点灯した。予め米山SAには給油所があることを調査済みだが、高速走行中の警告灯点灯は精神衛生上よろしくない。何とか持たせて翌朝、満タン給油で再出発した。米山SAでは長時間運転の疲れもあってか、蒸し暑さは感じたが、まあまあ眠ることができた。
長岡ICで下りて寺泊「魚の市場通り」へ。開店時間は各店8時30分だが事前情報では8時頃からやっている店もある。朝食は米山SAの車中で軽く済ませたが、海鮮が食べたい。
1970年代に角上魚類が1号店を出店したのをきっかけに他の出店者が徐々に集まって出来たのが「魚の市場通り」だそう。平日と言うことと時間が早かったこともあり観光客は疎らだった。
海鮮重もあったがお寿司を購入。店の外で売っている番屋汁と合わせて店内で食べた。番屋汁は、寺泊の漁師が浜の番屋で暖を取るために食べていたあら汁である。このボリュームで200円は安い。お寿司はそれぞれ6貫で450円。こちらもリーズナブルである。
お腹いっぱいで次なる目的地へ移動する。長岡市内を南に小一時間走って「高龍神社」に到着。旧山古志村に近いこの辺りは2004年の中越地震で甚大な被害を受けている。そんなこともあってか寂れた趣もあるが、道中に幾つかの温泉旅館が点在する。
高龍神社は商売繁盛の神様だ。信仰は古くからあったようだが創建は大正時代と比較的新しい。118段の石段は、段数としては大したことは無いが、勾配がきつい。我が家も含め、昭和時代の家屋は2階へ上がる階段がかなり急であったがそれに近い。手をついて上がるような階段が118段である。しかし恐れることは無い、救済措置がちゃんと用意されている。エレベーターを利用して急勾配が終わった辺りまで上がることができる。
高龍神社は龍神様を祀り、白蛇が御使いといわれている。御朱印を頂いたが龍が描かれている。右の高龍神社の龍の文字も龍がデザインされている。ちなみに高龍神社の高は「ハシゴタカ」が正しい。
この日の最後に八海山ロープウェイへ向かう。八海山は越後駒ケ岳や中ノ岳とならぶ越後三山のひとつ。日本二百名山でもある。八ツ峰と呼ばれる岩峰が続く鎖場はクライマーの憧れでもあるが、自分には異次元の世界であり、ロープウェイを利用して六合目の女人堂辺りまで行ければ…と計画をしてみたが、敢え無く撤回。しかし標高1147mのロープウェイ山頂駅周辺であっても茹だるような暑さ。やめて正解だったかもしれない…。
続きは「涼を求めて、新潟県の旅 2」 にて。
旅行日:2024年7月25日~27日