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燃え尽きてしまった私へ:生きる意味を見失ったときに考えたこと



仕事を辞めた日:爆発するように感じた瞬間

私は、ひとりでできる仕事をしていました。
主に外で歩きの仕事でした。
最初は散歩がてらの軽い気持ちで始めたものでした。
仕事をしながら体を動かすことで、心身のリフレッシュにもなるだろうと
考えていたのです。

しかし、次第にその仕事の範囲は、私が当初想定していた以上に広がっていきました。

特に重いものを運ぶことが増え、それが大きな負担となっていました。
無理をした結果、腰を痛めてしまい、それ以来、重い物を見るたびに恐怖を感じるようになりました。

この恐怖は、過去のトラウマと相まって、私の仕事に対する意欲を次第に蝕んでいきました。

さらに、強烈な胃痛と、絶え間なく続く微熱が私を苦しめました。
これらの身体症状は、日々のストレスが原因であることは分かっていましたが、それでもどうすることもできませんでした。

報酬は決して高くなく、それでも仕事に時間をかける必要があることに、
次第に精神的な負担を感じるようになっていきました。

決定的な瞬間は、初夏のある日でした。
外での仕事が次第に辛くなり、特に水分補給のための出費がかさんでいく
ことが気にかかっていました。

内心では「夏手当のようなものがあればいいのに」と思っていましたが、
そんな中、ある時お中元的なものをもらいました。

その時、ふと「そのお金があるなら飲料手当を出してほしい……」という
思いが頭をよぎり、その瞬間に頭の中で何かが爆発するような感覚に襲われました。

脳みそが沸騰するような感覚とともに、軽いパニック症状が現れ、
私はその場で絶望に打ちひしがれました。

仕事を辞めることを決意したその瞬間、絶望感はありましたが、
同時に解放感も感じました。

仕事を辞めた後、身体症状は少しずつ回復していきましたが、
心の中には「やっぱり自分はダメな奴だ。仕事を続けられない、能無しだ」という自己否定の感情が残り続けました。

この感覚は、私がこれまで経験してきた他の仕事でも感じていたことで
あり、再び同じ場所に戻ってきたような思いでした。


組織で働くことへの違和感:自分は向いていないのか?

これまでに経験した仕事の多くは、パワハラが当たり前のように
存在していました。

怒鳴られることや、悪口が飛び交う環境で働くことが当たり前とされている職場では、私にとって「組織で働くこと」に対する違和感が
常にありました。

特にコミュニケーションの面で私は馴染めずにいました。
新しい仕事を始めるたびに、最初は驚くほどポンコツであることを自覚しており、そのたびに「こんなこともできないのか」という圧力や、
実際にそう言われる言葉に押しつぶされていました。

「慣れる」までの期間が非常に辛く、組織の中で自分がどこにも馴染めないという強いストレスを抱えながら、何も言えずに逃げ出してしまうことが多々ありました。

その違和感は、身体的にも表れました。
最初に吐き気が襲い、それが恐怖心へと繋がり、
次第に身体が動かなくなるのです。

特に家ではリラックスすることもできず、何も手につかない状態が続き、
結局は布団に潜り込んでしまうしかありませんでした。

朝が辛く、起きることができなくなり、最終的には仕事に行けなくなる、
そんなパターンを何度も繰り返してきました。

バーンアウトを繰り返してしまう原因について、
私は生活を豊かにしたいから働いているのに、
実際にはその働き方が生活を蝕んでいるという逆行する現実に、
心身が耐えきれなくなってしまうのです。

自分が抱えるストレスやそれに伴う身体症状が、受け取る給料と見合わないと感じるとき、私はまた仕事を辞めてしまうのです。

こうした違和感やバーンアウトを感じた後、私が取ってきた対処法は、
基本的に退職して逃げることでした。

その後、数か月間は創作活動に没頭し、少しずつ回復してからまた何かしらの仕事を探すというサイクルを繰り返してきました。

組織で働くことが向いていないと感じた結果、病院で治療を受けることも試みましたが、最終的には何も信じられなくなり、その方法も手放しました。


うつ治療への疑問:本当に意味があるのか?

私がうつ治療を始めたのは、自己を追い込む癖や、自己受容できる環境が
ないことが原因でした。

家族との関係も不安定で、社会でも責められることが多かったため、
最終的には精神的に崩壊してしまいました。

そんな中で、治療を始めることになったのです。
当初は「早く治して、社会の歯車になりたい」という一心で、
治療に対する期待を持っていました。
とにかく働けるようにしてほしい、できるだけ早くと願っていました。

しかし、実際に治療を受け始めると、現実は想像していたものとは大きく
異なりました。

薬の影響で脳がうまく回らず、誰も私の話を真剣に聞いてくれないという
孤独感に苛まれました。
医者は根性論を説き、家族からは拒絶され、ますます孤立を感じるようになりました。

特に私を苦しめたのは、治療を続けたところで、
誰もその努力を喜んでくれないという現実です。

家族は私の心の健康には関心がなく、私自身も自分を嫌っているため、
誰からも求められないまま治療を続ける意味を見出せなくなって
いきました。

「頑張って治療しても、誰も関心を持たない」
「心の傷を肯定する人がいない」

という事実は、私をさらに無力にさせました。

治療を続けることは、ゴールの見えないマラソンのように感じられました。ただただ疲れるばかりで、何の進展もないように思えました。

自分が治療記録を家族の見えるところに書いても一切触れられることは
なく、緊急時にどうしてほしいかをまとめた冊子を作ったのに、
家族はそれを見もせずにしまい込んでしまいました。

さらに、「相談に乗っているとこちらまでうつになるから、相談するな」と言われたとき、私は完全に孤立したと感じました。

家族が私の回復を望んでいないように思えるたび、無力感が募りました。
これまでの努力を医者に訴えたところ、
「頑張るという時点でダメだ」と言われ、さらに傷つきました。
頑張りすぎてうつになったから頑張るなという意図だったのでしょうが、
その冷たい言い方に深く傷つきました。精神科医にさえも傷つけられたことで、医療そのものに対する不信感が強まりました。

私自身、自分のことが嫌いなので、
わざわざ時間をかけて病院に通うことさえも、
もう頑張りたくないと感じています。

私の心の痛みに同情する人はおらず、誰からも求められていないという感覚に囚われています。

それは無力感や絶望感となり、私をますます治療から遠ざけるばかりです。


「燃え尽き症候群」との出会い:積読チャンネルの本から考えたこと

退職した翌日、私は何気なくYouTube見ていました。
そのとき、ふとこの動画が目に入りました。


そこでは「なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか」という本が紹介されていました。

タイトルを見た瞬間、まるでその本が自分のために存在しているかのような感覚に陥りました。

まさに私が直面していた「燃え尽き(バーンアウト)症候群」という言葉に強く惹かれたのです。

本の概要

バーンアウト文化への処方箋 「燃え尽き(バーンアウト)症候群」は仕事への不満やストレスを語るときの用語として流通しているが、その意味は正確に理解されておらず、激務の疲労や仕事への絶望に苦しむ労働者の役に立っていない。本書は、大学教授の仕事に燃え尽き、寿司職人やコインパーク管理人として生計を立てていた異色の経歴を持つ著者が、なぜ過酷な仕事に高い理想を持つのかを歴史的・心理学的に分析し、燃え尽きを解決できた個人やコミュニティーを明らかにする。

「なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか」ジョナサン マレシック (著), 吉嶺 英美 (翻訳)

本の中で特に印象に残ったのは、私たちが生活を豊かにするために仕事を
しているはずなのに、その仕事によって消耗し、心を殺してしまう現代の
資本主義社会の構造に問題があるという指摘でした。

私自身、仕事をすることで社会に貢献することがすべてだと思い込んでいました。しかし、この本を通じて、それが資本主義の構造が生み出した幻想に過ぎないことに気づかされました。

私もまた、仕事に対して高い理想を持ち、それに適応しようと必死に努力していました。
しかし、その度に心が折れ、燃え尽きてしまう。

これは単なる私の個人的な問題ではなく、現代社会全体が抱える問題であると、この本は教えてくれました。

私たちは、仕事でしか幸せになれないと思い込まされているのではないかという著者のメッセージに強く共感しました。

本を読み進める中で、私の考え方や感じ方にも変化が生まれました。
これまで自分を苦しめていたのは、自分が無価値だと感じていたからでは
なく、むしろ、社会が押し付ける価値観に無理に適応しようとしていたからだったのです。

この気づきは、私にとって大きな救いとなり、これからの生き方について新たな視点を与えてくれました。


インターネットから離れて:時間泥棒との契約を解くために

あるとき、私はインターネットから離れることを考え始めました。
特に「働かないと自分には価値がない」と感じるようになった原因が、
ネットの情報やSNSの影響だと気づいたからです。

常に他人と比較し、自己評価を下げるような環境に長く浸っていたため、
次第に心が消耗していくのを感じていました。

そんなとき、ミヒャエル・エンデの「モモ」に登場する時間泥棒のことを
思い出しました。

時間泥棒は、人々から時間を奪い去る存在として描かれますが、
私自身もまた、ネットや労働によって時間を吸い取られていたのかもしれ
ないと考えるようになりました。

心が消耗し、疲れ果ててしまった原因は、無意識のうちに時間泥棒と契約
してしまっていたからではないかと感じたのです。

インターネットやSNSから距離を置くと、
時間の流れが豊かに感じられるようになりました。

心が少しずつ落ち着きを取り戻し、自分の時間を取り戻す感覚を味わいま
した。

本を読んだり、猫と一緒に昼寝をしたりすることが、
これまで感じていた忙しさや焦りから解放される瞬間となりました。

また、急に思い立って布草履を作ったり、ようかんを作ったりと、
これまでの生活では考えられなかったような活動にも取り組むように
なりました。

それらの行動は、時間に追われることなく、自分のペースで楽しむことが
でき、まるで時間泥棒から解放されたような気持ちになりました。

「モモ」のメッセージが私に教えてくれたのは、真に大切なものは目に
見えない時間や、心の豊かさであるということです。

時間泥棒に奪われた時間を取り戻すために、ネットや労働から少し離れて、自分自身のペースで生きることがどれだけ重要かを実感しました。

今、インターネットとの関わり方についても、
慎重に考えるようになりました。

これからも、時間泥棒に時間を奪われないよう、意識的に自分の時間を大切にしながら過ごしていきたいと思っています。


最後に:これからの自分へのメッセージ

これまで自分の経験や思いを言葉にしてきたけれど、
結局のところ、これらはただの言い訳かもしれない。

君は他人に失礼を重ねながら、まるで被害者のように振る舞い、
自分を正当化しようとしているのかもしれない。

ただ、最低な人間であることを認めたくないから、それっぽい根拠を持ち
出して自分を守ろうとしているのかもしれない。

でも、それでもいいんだ。
そうでもしないと、君は生きていけないんだから。

自分に合った生き方を見つけることができるなら、
それがたとえ言い訳だらけのものだったとしても、それでいいじゃないか。

完璧じゃなくても、正しいかどうかもわからなくても、
少しでも心と体が楽になるような生き方をしてほしい。

君がそう思えるなら、それが君の選ぶべき道なんだと思う。

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