物事を捉え直してみる
不安を乗りこなして逆境を楽しむために、
ちょっと別の捉え方をしてみようと思います。
例として、前回の記事で挙げた気持ち悪いことに対して...。
【ケースその1】
彼女らの話を聞いていて思うのは、彼女らがそれを知っているのを当たり前のように感じているらしいことです。
あたかも私が見られて当然と判断できる場所に自分で公開しているような(私が彼女らに直接それを教えたわけではないけれど、誰でも見られるものというような)、そんな感覚で私に話をしている感じがします。
彼女らのように私に直接何か言ってくれる人からの情報は、実はとてもありがたいものかも知れません。それが突破口になるかも知れないからです。しかも私の肩を持ってくれるのなら尚更です。
であれば、避けるのではなく、どんどん話して貰う方が私にとっても助かることになります。そもそも私はわりとオープンな性格で、こんなに秘密主義ではなかったのです。知られて困ることも別にないわけです。
【ケースその2】
この人は最初からちょっとシニカルなところがあって昭和のオッサンという感じです。そして私を女扱いしていません。そのことについて、私は全然気になっていないのです。むしろ楽な相手かも知れません。
そもそも私は女っぽいタイプではなく、言いたいことをわりと直球で口にする方です。その方が早いと思ってしまうタイプなんですよ。
ただ、この人、関西ノリなのか知らないけれど、めっちゃイジってくるので面倒臭い人でもあります。
とはいえ、トータルで考えたら、私にとってはわりと面白い人かも知れません。
【ケースその3】
無視したり睨んだりするのは不快だからでしょうね。「自分は頑張っているのにコイツは甘えたことを言ってる。」などと思っているのでしょう。(私は誰にも見られないようにしているはずなんですけどね。)
けれども、その考え方、ちょっと変えてみませんか? プラスとマイナス、ポジティブとネガティブ、陰と陽。人はバランスを取ることで安定するのだと思います。こういう立場だからこんなことを言ってはいけない、と思うと、疲れるだけで理解されないと思いませんか? そして、部下もそうでなくてはいけないと思って力が入ってしまいませんか? 「今だけ、ちょっと愚痴ってもいい?」というときもあって良いと思うんですよ。その方が距離が近くなると思いませんか?
説教をしてくるのは【ケースその2】のオッサンを含め何人かですけど、オッサンに関しては恐らくただのイジリでしょう。それ以外の人達も、その言葉の根底には、私を心配してくれている印象を受けます。
【ケースその4】
これはオッサンのただのイジリですね。
こういう風に捉え直してみると、何だかそんなに大層なことでもないような気がしてきました。
捉え直してみる、というのは良い方法かも知れません。