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放浪文化人類学者のはじまりはじまり② ートルコ在住ウイグル族のイスラム的な食とはなんぞや

お世話になっていたウイグル族の世帯を一旦離れ、新疆にいたときからの友人の紹介で、年子3人を子育て中の若いウイグル族の夫婦の家にお世話になることになった。


部屋は、せまかった。


新疆だったら家なんてどこも無駄に広くて、宿泊するのに肩身のせまい思いをすることなどほとんどなかったけれども、ここは異国。

相手方にとっては、あれもない、これもない、親族も隣人もいない、
そんななかで、数少ない友人のひとりの希望をかなえることができるなら、と差し伸べてもらえた手なのである。
ここの夫婦と生活することになって、わたしは異国に生きることのこころぼそさを思い知ることになる。
青いタイルの宮殿や、きらめく光につつまれた夜の港、陽気なロカンタといった、観光客に愛される要素満載なイスタンブルなのにもかかわらず、わたしにとっては、イスタンブルは思い通りにならないことばかりの生きづらい街である(だから映画「遥かなるクルディスタン」などにぐっときてしまうわけです)。

3人の子供の一番下は、まだ生まれたばかりの新生児だった。

イスタンブルのウイグル族世帯に共通している点だったが、かれらは小さな子供を家の前の道等で遊ばせない。窓からみえるほど近くの公園にさえもつれていかない。
そうなると、ある程度子供が大きくなっている家だと、子らは屋内でソファや机に飛び上がりカーテンにつかまり阿鼻叫喚の大騒ぎをするのだが、それでも家の前の道路等では遊ばせない(調査をした世帯以外も)。そのため朝から晩までテレビ漬けという子も少なからずいた。いったいこれはどういうことだったのか、わたしは調べていない。
そのため、居候先だったこの家では、せまい部屋で新生児育児をしつつ、年子の上の子2人のありあまる元気を同じ部屋であしらっていたのである。
そこにわたしもいれてもらうわけで、もうよくうけいれてくれたなという大混雑である。

興味深い経緯をもつ家だった。
夫氏は10代前半に中国から出国しており、パキスタンで勉強、その後ドバイのイスラム大学を卒業し、卒業後はドバイのモスクでイマーム(礼拝の指導)をしていたらしい。その後商売をはじめ、中国に買いつけに行ったときに義烏(浙江省)でパソコンを売る手伝いをしていた妻氏をみそめ、結婚したのだという。その後夫婦でサウディアラビアに住んでいたのだが(サウディにもウイグル族のコミュニティがある)、商売上のトラブルでイスタンブルに移動してきた。※義烏については↓参照

なぜイスタンブルを移住先に選んだのかは聞いていないのだが、イスタンブルは、ウイグル族が数千人単位で住む、中東のウイグル族のネットワークのハブである。ビザも出やすいようだし、中国からトルコへの国籍変更者もわりとみられた(国籍変更がかなうと「これでやっと新疆に帰れる!」と帰国(?)する人がみられたりして、内情はなかなか複雑)。
トルコではウイグル族はイスタンブル以外にも住んでいて、カイセリ(トルコ中央部)などでは畑をしているひともいるらしく、白菜やニラも手に入るんだ、とウイグル族女性たちがうっとりと話をしていた(ウイグル族の食は新疆在住の漢民族の影響をうけている)。

それでこの世帯の元イマームが今何をしているのかというと、非常設バザールでアクセサリーの路上販売をしているというのだ。

大卒で路上販売…?ドバイの大学を出て?という日本人的発想で、夫氏の学歴は仕事の役に立ってなくないか?と聞いたのだが、
「知識は自分でつかっているし、わたしにも教えてくれる」という。
う~ん、とは思うものの、まあ学歴が職に結びつくのも情勢次第ということで、浮き沈みのなかの、沈みのただなかにいる世帯といえた。

しかしこの家でなら、正しいイスラムを教えてもらえる、と少しわくわくしながらなるべく邪魔にならないように居候すべくかまえた。

ところで、この家にくるとき、この夫婦を紹介してくれた友人に、滞在始めには肉を買っていくようにとアドバイスをうけていた。そのため現地の大手チェーンスーパー(BIM)の鶏肉一羽分を買い、友人の職場で一緒に食べていた市販のお菓子を一袋買っていった(ウエハース)。

トルコの大手チェーンスーパーBIM


その菓子はしばらく食べずにおかれていたのだが、ある日、妻氏が夫氏にだした。夫氏はおいしいと食べ、どこで買ったのか?と聞いた。妻氏は日本人氏がこの家に来るときに買ってもってきたものだというと、夫氏はその成分表を仔細に見分したのだという。

夫氏が家にいるときは、わたしは夫氏の見える場所に行かないようにといわれていたので、隣室でその会話を断片的に聞いていたのだが、あとで妻氏からその詳細を聞いたとき、妻氏は「うちではÜlker(トルコの有名な食品メーカー)以外のものは買わないようにしていた。古いメーカーだし信用があるから。だから少し他より高いんだけどそれだけを買うようにしていた。」といった(実際に家に買ってある果汁などはÜlkerのものだけだった)。
そして、「Ülker以外には豚の骨が入っているから。」といった。

Ülkerのチョコレート

きたきた、またきたよ。
トルコの市販の食べ物はイスラム的に駄目な件。

というか、肉はよかったんか、肉は。
イスラムの食で一番注目があつまるべきは、肉だろう。
肉以外をどうみたらいいかなどと(ハラールとすでに書いてあるものを、そのうえどう扱えばいいのか)、『コーラン』に書いてあるようにみえない(みえなかった)。

しかしこれはわたしがウイグル族の友人と職場で一緒に食べていたものである。だから一緒に食べていた友人にもこの「事実」は知らせなければならない。しかしそんなことを知らせたら
「えっ、わたしは豚の骨を食べていたの?」
というかもしれない。あるいは
「彼女は考えすぎだよ」
というかもしれない。少しどきどきしながらそのことを伝えると、彼女は

「そのとおりだ、わたしたちはみなそうして食べ物に気をつける」


と答えたのである。


そして、彼女はその後、だれか人にあうときは「Ülkerは信頼があるから選んだのだ」などといって積極的に買っていくようになっていた。


問題点の整理をしよう:
1、トルコのお菓子には豚が入っているのか?(そんなことあるのか?)
2、Ülker以外を食べている人は豚を食べているイスラム教徒ってことになるのか?(妻氏の話を聞く前は友人の彼女はそれを食べていたわけだが、となると彼女は豚を食べていたイスラム教徒?)
3、「豚」はなるべく食べずにいるべきもので、ちょっとなら食べてもOK?(まあ『コーラン』に神は許してくれると書いてはあるのだが、個人としてどういう折り合いをつけているものなのか。他の人に(を)どうみられる(みる)ものなのか)
4、そもそも妻氏のいう「豚」って、本当に含まれているのではなく、「信用できなさそう」に対してあたえられた見出しのような語彙ではないの?
5、そもそも…いったい何に気をつけているの?

いったい何を考えているとこういう会話ができるの?


この「そのとおりだ、わたしたちは…」という会話を日本の研究会で話したとき、日本人研究者に「あはは」という反応をされた。ここは笑うことなのだろうか。現地の人々の心情を想像することなく、「無学な底辺民め」とでもみろというのだろうか。

おそらく日本人研究者は「『コーラン』に書いてあるとおりにすればイスラム的に正しい」でイスラムの解釈は終了しているのである。文化人類学者であっても。

しかし、果たしてこれは、「あはは」なのか?

夫婦の世帯ではその後、近所のウイグル食堂について、「あの店は酒を飲む人がくるところだから、ムスリムの食堂ではない」と夫氏がいっていた、という話もした。

え、トルコで営業している店がイスラムで許容されない食堂ってことある?それって営業許可証の取り消しとかとはかわりあいのない話だよね……夫氏の主観……トルコ社会の慣習……というところまで来て、

トルコの有名な蒸留酒「ラク」

よーーうやくわたしにも、もやもやとした方向性がみえてきた(まだ言語化はできていない)。


前にいさせてもらった世帯のこと、きちんとメモをとっていてもよかった…んじゃないのか…?と考えはじめ、おぼえていることを書きだしはじめた。



わたしは社会はイスラムを実現したものとしてそこにある、
という目でみている。
わたしは「社会」を信用しすぎている。
わたしは「社会」に従属しすぎている。


トルコは、エジプトは、イスラムを完全に達成したイスラム社会であることを前提として行動するわたしのほうが



「おかしい」。


かれらは社会に対し、疑念の目をむけている。
かれらは社会にはいまだ存在していない(と思われる)「正しさ」を、自分の手でつくりだそうとしている、のではないか。そのことばが「豚」になっているのではないか(事実ではない…と思う…。だって「豚が入っています」っていってトルコで売る理由がないでしょ←日本人的思考)。


しかしそう考えたら、かれらはあまりに孤独ではないだろうか。トルコという「イスラムの国」で、イスラムの正しさを探して、手探りで生きているなどということは。

でも「そのとおりだ」は友人の彼女も同じ価値観を共有しているからこそ、「わたしが豚を食べてたっていうの?!まわりのイスラム教徒も?!」などという会話にはならなかったといえるのではないか。

妻氏はまた、テレビで子供向けのアイスクリームのコマーシャルを見ながら 「かれらは金さえためられればそれでいいのだ。かれらは清潔に作業をしているのか、そうでないのか、それを知ることなどできはしない。私の母は私が小さい頃から工場でつくられたものを子供に与えないようにしていた。(食べ物は)自分の手でつくったものがいいのだ。」という。


新疆にいたときからも、そうなの?!

トルコに来てからも、そうなの?!

気を付けてるのって、……工場??


このひとたち、社会と思考を同じくするタイミングってないの?(日本人はわりと普通にしていることなのではないだろうか…)


だからわたしは、日本のイスラム研究界隈で若干言及するひとのおられる「ハラール認証(イスラム的な食の正しさを制度化しよう)」の問題、特に日本にもその制度を導入しよう(イスラム教徒の観光客誘致のために)!などという動きには正直腰が引けている(それを喜ぶ民族もいるのかもしれないが。それに大概このターゲットは東南アジアなのですよね…)。


それは、ウイグル族の「イスラム」が、社会にその「正しさ」をゆだねない形でなりたっているようにみえたからである。


なぜ、こんなことになっているのだろうか。



to be continued.

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