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自分を信頼した先に


繊細さん。

最近、メディアでよく取り上げられているから、わたしの周りでも、ほとんどの人が、この言葉を知っている。

そういうわたしも、知ったのはつい最近。

ならばと、試しにテストをしてみた。

驚いた…全てに当てはまったのだ。

なんだ、わたし、繊細さんだったのか。

あー、だからか!

あー、それで、しんどかったのか!

…と、これまでの人生での、たくさんの謎が解けた。


大型ショッピングモールなど、人混みに出かければ、短い時間であっても、帰宅すると、ぐったりする。

大好きな気心知れた友人なのに、長時間話すと、疲れ果てる。

人の顔色の変化にすぐ気づく。

機嫌の悪い人がいると、自分が何か悪いことをしたのかと、ソワソワする。


そんなこと全て、身体や心が弱くて、根性の無い、わたしが悪いんだと思っていた。

繊細さは、わたしの治すべき短所だと、生まれて半世紀もの間、信じ込んでいたのだ。


しかし、それは、治すべきものではなく、上手く活かすことができれば、わたしの長所になるというのだ。


肩の荷が降りた、という言葉がピッタリだ。

もう自分を変えようなんて、無駄な努力をしなくていいんだと思うと、心が軽くなった。


どうやら、わたしは、五感が働き過ぎなくらいに、働いているようなのだ(笑)

視覚、聴覚、臭覚、触覚、味覚など、わたしにとって当たり前の感覚は、繊細さんではない人のそれとは、随分と違いがあるらしい。

すごく大きな刺激を受けているらしい。

繊細さんではない友人と、この話題について話したときに、判明した。


最近は、フト入ったお店の雰囲気が、わたしにとって心地良いのか、そうではないのかは、すぐにわかるし

散歩途中に通る、何の問題も無さそうな、ありふれた住宅街の道すら、この筋は、なんだか良くない感じがする…なんて感じて、避けたりしてしまう。

霊感もあるのか?わたし…いやいや、何も見えないから、それは期待できない。


しかし、ひとつ、思うことがある。

もうわたしも半世紀を生きてきたのだ。

その道々で、無意識に身につけているであろう、「何となく、そう感じる」という、自分の直感のようなものを、もう、わたしは、ちゃんと信頼してもいいんだと思う。

理由なんてないけれど、何となく感じたことは、きっと、わたしにとっては大正解なのだ。


繊細な自分を信頼した先に、わたしだけに見える特別な景色が、きっとある…って、これまた、何となく思う(笑)








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