梅雨の日々。 静かな雨音をのんびり聞きながら、心穏やかに暮らせる日があれば、外のどんよりとした景色に、何となく気持ちが沈む日もある。 そんな雨の日々が続くと、なんとなく気持ちを切り替えたくなり、目的も無しにお気に入りのカフェへと向かう。 オーダーするのは、大抵、温かい飲み物。 温かい紅茶や、ハーブティー。 時に温かい梅ジュースや、ココア。 ある日何となく、今まで飲んだことのない、抹茶オーレを頼んでみようという気になった。 しばらくして初めての抹茶オーレが運ばれて
朝から降り続いていた激しい雨が、小雨に変わった午後。 夕食の準備を済ませて、近くのカフェへと向かった。 山を切り開いた小高い場所にあるわたしの暮らす街。 周辺には田んぼや木々がまだたくさん残っていて、とても自然豊かだ。 田舎暮らしにはよくあるように、移動手段は車やバス。 徒歩圏内に、小規模のスーパーはあっても、駅や大型商業施設、お洒落なお店などはほとんどない。 でも、わたしにとっては、物凄く幸運な場所がある。 歩いて行ける場所に、一軒だけ素敵なカフェがあって、今
前回の記事から気づけば3ヶ月。 季節もすっかり巡って、新緑が目に眩しく、美しい日々。 何故だかnoteには向き合う気持ちが湧かず、7年近く続けているアメブロで、自分の書く欲求を満たしていた3ヶ月だった。 noteとアメブロ。 わたしの中で何が違うのだろう? アメブロは、友人や知人、開催していた教室での生徒さんなど、面識ある人たちが気軽に覗いてくれていて、時折、感想なども頂く。 日々の気づきを、気軽に楽しく書けるのが、わたしにとってのアメブロという場所。 note
今日から2月。 去年の自粛期間からもうすぐ1年、、、早い、早すぎる。 わたしの日常は、この1年の間にずいぶん変化した。 そして心の状態も、自分が実際に感じている以上に、変化したように思う。 月に何度かの仕事…ある教室を開催していたが、初夏に手放した。 年上の生徒さん達から、人生での学びをたくさん貰っていたから、その大切なご縁がなんとなく終わってしまったようで、少し寂しかった。 友人、知人とも会える回数が減り、これまた、寂しく感じた。 この寂しさは、これまでの人生
2021年が始まった。 毎年、年明けは比較的、のんびり穏やかな日々を過ごしている。 こんな風に、今年1年、穏やかに暮らせたらいいな…と願うも、現実はそう上手くはいかない。 何やかんやと、大小の事件が勃発して、わたしの感情はその度に振り回される。 イライラし、落ち込み、泣いたりと、心は1年を通して忙しい。 それでも、わたしは様々な事件、難題をなんとか乗り越えて、今日までやってきた。 我ながら、ほんとによく頑張ってきたよなぁ〜って思う。 数え切れないくらい、逃げ出し
NHKの朝ドラ。 日本の何割くらいの人が、毎日見ているんだろう、と時々思う。 生まれ育った実家では、物心ついた頃には、母や祖母たちは、毎日欠かさず観ていた。 20代のわたしは、夜の恋愛ドラマには、時折夢中になったりしていたが、毎日たった15分しか放映されない短い朝ドラの、何がそんなに楽しいのか、さっぱりわからなかった。 それがだ。 40を超えた辺りから、母や祖母たちと同じように、朝ドラにはまり始めたのだ。 ちゃんと、きっかけがあった。 30代も終わりを迎えるころ
比較的温暖な、わたしの暮らす地域も、紅葉がそろそろ終わりを迎え、冬の近づく気配が感じられる。 今朝は、とても冷え込んだので、ストーブを付けて、ほうじ茶ラテを鍋で作り、のんびり飲みながら、noteを書いている。 毎朝、義母をデイサービスに送り出すと、やれやれと一気に力が抜ける。 その後、ホッとひと息ついて、ゆっくり過ごす1人のお茶の時間。 いつの頃からか、そのお茶の時間は、気持ちを切り替えたり、自分らしさを確認したりする、わたしにとっては、なくてはならない大切な時間とな
繊細さん。 最近、メディアでよく取り上げられているから、わたしの周りでも、ほとんどの人が、この言葉を知っている。 そういうわたしも、知ったのはつい最近。 ならばと、試しにテストをしてみた。 驚いた…全てに当てはまったのだ。 なんだ、わたし、繊細さんだったのか。 あー、だからか! あー、それで、しんどかったのか! …と、これまでの人生での、たくさんの謎が解けた。 大型ショッピングモールなど、人混みに出かければ、短い時間であっても、帰宅すると、ぐったりする。
金木犀の香りが、至るところで漂う日々。 リビングのソファーで横になってダラダラするわたしに、柔らかな風が、庭の金木犀の香りを運んでくれる。 散歩途中にも不意に香りが漂ってくるから、誰かのお庭の金木犀をつい、ジロジロと探してしまう。 香りの記憶は、目や耳で記憶した出来事とは比べものにならないくらい、正確で、鮮明だ。 わたしにとって金木犀は、豊かな自然の中を駆け回っていた幼い日々が蘇り、とっても幸せな気持ちになる、大切な香りだ。 金木犀の香りに安らぐ日々の中でも、気持ち
爽やかな秋の風を心地良く感じながら、ある場所へと向かっていた昨日のわたし。 車を駐車場に停めて、目的の場所まで歩く、5分という短い時間。 昨日は、そのたった5分に、この上なく穏やかな幸せを感じた。 何処からか風に揺られながら運ばれてくる、金木犀の香り。 空を見上げれば、快晴の空に、ほんの少しだけ色づき始めた、でもまだまだ紅葉と言うには程遠い、イチョウの木の葉が目に留まる。 その葉の合間に、まだ青い銀杏がぎっしり詰まっていて、思わず、わ!って声を上げそうになった。
久しぶりの雨。 陽当たりのいい我が家のリビングも、今日は薄暗い。 こんな薄暗い日のささやかな楽しみは、キャンドルを灯すこと。 穏やかに灯るキャンドルの炎を眺めながら書いている。 日々の生活の中で、キャンドルを灯すという習慣などなかった。 キャンドル作りを始めた友人に、プレゼントしてもらった事。 そして同じ頃、キャンドルの炎を眺めることを、勧めてくれた人もいて、それならば、と気が向いた時間にキャンドルを灯し始めた。 確かに、落ち着く。 リラックス効果が相当あるよ
前回の続き。 鬱病になったわたしの前に現れた、昔からの友人。 彼女は、わたしが結婚してから親しくしてきた、他の誰とも、生き方や考え方が違っていた。 彼女とたくさんの会話を重ねる中で、その当時のわたしには、衝撃的だった事がある。 「どうしてみんな、結婚した途端、〜しなければならないの、って言うの?」 「どうして、それは出来ない。わたしは、こうしたい、って言えなくなるの?」 彼女の周りみんな、結婚した途端に、自分の思いは何処かに仕舞い込み、夫や夫の家族、世間の常識に自
鬱病と向き合っていた、30代終わりから、40代の始め。 その日々は、たくさんの、大切なものを手放して、絶望感に満ちた毎日の繰り返しだった。 しかし同時に、たくさんの、今まで手にした事がなかったものを、手に入れ始めた日々でもあった。 結婚して10年が過ぎていたが、鬱病になって動けなくなって、そこで初めて十分な「時間」を手に入れた。 その十分な時間を使って、わたしは、自分と深く向き合い出した。 病状が落ち着いてきた3年目くらいから、毎日毎日、救いを求めるように、たくさん
この世に生まれて、半世紀を迎えた途端、それまで、どんなに考えても、わからなかった難題の答えが、次々に解けるようになった。 年を重ねなければ、絶対に理解できないことが、本当に存在するんだと、わたしはビックリした。 わからなかった難題…父は何故、あんな態度だったのか。 母は何故、悲しんでいたのか。 夫の親は、何故、わたしにあの言葉を放ったのか。 わたしが、彼らと同じ年齢となり 子供たちが、昔のわたしと同じ年齢を迎えた時、全ての謎が解けた。 わたしが見ていた広い世界は
結婚して15年が過ぎた頃だろうか、夫と深く向き合うようになった。 喧嘩などほとんどした事がなかった、私たち夫婦。 わたしが、大きく変化したことで、しょっちゅう、ぶつかり合うようになった。 またか、またか。 喧嘩するのも、もういい加減、疲れる。 自分の気持ちなど伝えずに我慢したほうがラクだ。 そんな風に、2人の関係性から逃げてしまいたくなるような日々のなか、気付いたことが、たくさんあった。 私たち、長い間、 結婚ごっこ?夫婦ごっこ? そんなことをやって、うわべ
鬱病が治った。 本当のわたしの思いに気付いた。 新しい人生の一歩を踏み出した。 めでたし、めでたし! …なんて、人生、そんなに甘くない。 わたしは、大きく変化した。 しかし、周りがわたしの変化に追い付くのは、容易ではなかった。 特に、夫は、鬱病になる前のわたしと知り合って、一緒になったのだ。 鬱病になる前のわたし…それは、自分には価値がないと、無意識だが、信じ込んでいたわたし。 だから、夫の意見に、何か小さな違和感を感じたとしても、気のせいとばかりに、自分の