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心と繋がる場所

朝から降り続いていた激しい雨が、小雨に変わった午後。

夕食の準備を済ませて、近くのカフェへと向かった。


山を切り開いた小高い場所にあるわたしの暮らす街。

周辺には田んぼや木々がまだたくさん残っていて、とても自然豊かだ。


田舎暮らしにはよくあるように、移動手段は車やバス。

徒歩圏内に、小規模のスーパーはあっても、駅や大型商業施設、お洒落なお店などはほとんどない。

でも、わたしにとっては、物凄く幸運な場所がある。

歩いて行ける場所に、一軒だけ素敵なカフェがあって、今のわたしは、そのカフェの存在にとても救われているのだ。


店内は天井が高く、開放感があり、木の温もりが心を優しく包んでくれるように感じられる。

窓は大きくて、空がとても近い。

目の前には、季節によって色を変える山や田んぼが広がり、

僅かに残る竹林、遠くの道路沿いには新緑の並木が見える。


そして、カフェをぐるっと囲むように、季節ごとの植物がたくさん植えられていている。

今はまだ、紫陽花の花は蕾だけれど、雨に濡れた青々とした葉が、なんとも言えない美しさだ。


更に店内のスピーカーからは、わたしの耳に、ちょうどいい音量で穏やかな音楽が流れてくる。

環境音楽、もしくは瞑想音楽と言うのかな?

ある日は身体に心地よく入ってくるし、またある日は、音楽が流れていることにすら気付かなかったりもする。

音楽がまるで、その日のわたしの心や身体に合わせ、そっと寄り添ってくれているかのようだ。


食事は胃にも心にも優しい味。

素材を活かし、丁寧に作られていることは、説明なしにでも、ちゃんと伝わってくる。


全てが、わたしの五感を心地良く刺激するものだから、足は自然にお店へと向かう。

わたしにとって、自分の身を置く場所は、とても大切だ。

自分にとって快適な環境は、例え短い時間であっても、ちゃんと自分自身をリセット出来るから。


もちろん、リセットすることは、自宅でも可能だ。

自宅でお茶を飲めば、料金はかからないし、歩く体力も時間も使わなくていい。

何もかもが合理的な気がする。

だけど、時々わたしは、財布を持ち、本やノート、iPadなどを鞄に詰めて、カフェへと向かう。


生活の場である自宅から少し距離を取って、五感を心地良く刺激する快適な環境で、景色を眺めながら、ぼーっとしたり、日々の思いをノートに記したり、こうやって今日のようにiPadに向かったりする。

それだけで、日々の疲れは少し和らぎ、主観でしか捉えられずにいた物事を、客観的に捉えることが出来たりするから不思議だ。


若い頃には、そんな時間の使い方があるなんて、思いつきもしなかった。

そんな風に時間を使ってもいいんだなんて、知らなかった。


来る日も来る日も、時間に追われていていた。

自分と向き合う時間など皆無だった。

だからそのうち、当然のように、心身のバランスを崩した。


合理的過ぎる日々の生活はわたしには向かないんだと、体調を崩して初めて気づいた。

一見、無駄に思えるような時間こそが、わたしの人生には無くてはならない、大切なものなんだとやっと気づいた。


歳を重ねて、そんな時間を思う存分過ごせるようになったわたし。

そのささやかな、でも丁寧に心に寄り添う時間が、日々を生きる自分の心をしっかりと守ってくれているんだと、今のわたしは知っている。
















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