パニック障害。
遡る事、19歳の時。
初めて、理由が分からない吐き気に襲われた。
ご飯屋さんでご飯を食べようとした時、吐き気に襲われてトイレに駆け込む。
何も出ない。
心臓が速くなり、息が苦しくなる。
元々、吐くのが苦手で吐いたのは小さい頃の記憶。
とりあえず、外の空気を吸おう。
外に出て少し寒い中、散歩に出た。
公園を見つけてベンチに座ってたけど、ずっと吐き気。
嗚咽。
何も出ない。
その日朝まで寝れずにゴミ箱を抱えて朝を迎えた頃、気絶する様に寝た。
すぐに薬局に行き、太田胃酸を服用。
少し落ち着いた。
胃腸炎でも無さそう。
熱も身体も怠くは無かった。
これっきり特に22歳まで何も無かった。
息子をお腹に身ごもった時、食べづわり等を経験する。
ある日、買い物に出掛けてるとレジの列で強烈な吐き気と眩暈と、なんとも言えない、このまま死んでしまう!!と思う程の感覚。
カートを放り出し外に逃げた。
妊娠って大変だ。と思った。
それから、何回かレジで同じ事が起こる。
違和感。
当時、たまごクラブという妊婦さん向けの雑誌を購入して悪阻などの事を調べてみたけど、私は何故か特殊だと思っていた。
レジを飛び出してしまう程、悪阻は酷いのか…
そこから徐々に車の運転をしてると動悸、吐き気、血の気が引く様な感覚。
息が出来ない。
妊婦検診に行き、症状を話すると心療内科、精神科を進められた。
なに…?
人の多い場所、うるさい場所、列、信号待ち、渋滞。
ただ考え過ぎも良くないからとの後者の言葉を信じて妊婦生活を終えて、待望の愛息子を帝王切開で出産。
壮絶だった。
もしかしたら…みたいな事もあり、家族全員呼ばれる大掛かりな出産になった。
そもそも、低血圧な私が出産時、180という高血圧で出血も多かった為だった。
面会謝絶。
流動食から始まるが普通食になってもお腹が空かず、ご飯が一口程しか食べれ無かった。
豪華なご飯で夕飯な産婦人科だったのに…
そんな気もおきず…
看護師さんに頑張って少しでも口に入れてね。
って言われるんだけど
何も喉を通らない。
しばらくして、母子共に退院。
まだ子供がおるん?ってくらい気持ち悪くなる。
ちゃんと食べないとな。
と、思いながら…母が心配して里帰りを進めてきた。
甘えよう。
実家のご飯も喉を通らない。
ただ、息子のおかげでよく眠れる。
1年が過ぎた頃
やっぱりおかしい。
神経外科を受診。
『自律神経失調症です』
CTで頭の中も診てもらった。
異常無し。
薬を貰い飲んだ。
ただただ、毎日寝続けてしまう。
育児どころでは無い。
でも、寝ているおかげで吐き気や息苦しさは無かった。
このままではマズイ。
悩んでいた頃、私と似た様な症状の人が心療内科を紹介してくれた。
この頃、実はとてもじゃないけど酷い状態だった。
所謂、引きこもりだ。
息子を遊ばせるのは近くの公園。
買い物はレジが怖くて、宅配。
欲しい物は通販。
人と会うのが怖くて、ほとんど近くの友人の家。
そして、理由が分からない恐怖で急に帰りたくなり帰る。
こんな日々を過ごしていた。
もちろん美容院なんか、怖くて行けない。
だから、車に乗って病院。
怖い。
待ち時間、怖い。
母がこんな変わり果てた私を引っ張って心療内科に連れて行く。
既に吐き気と消えてしまうんじゃないか!
息が苦しくなる、車の中で子供の様に恫喝していた。
フラフラになりながら、受付。
待合室でぐったり。
涙が止まらない。
なぜ泣いているかも分からない。
初診で有名な人気心療内科だった為、長い時間待ってようやく診察室。
出た言葉は、『助けてください』
その後、泣き崩れた。
多分、母が症状を説明していた。
聞こえてきた言葉で覚えているものがある。
"買い物依存性" "変わってしまった" "子供の事も出来なくなってしまう"
酷く落ち込んだ。
聞こえてきた言葉がグサグサと刺さる。
私って、最低やん。
あんなに可愛がってる愛息子の事も出来ず、おまけに買い物依存性なん?
最初に言われたのは
『パニック障害と言う最近分かってきた現代病と言われるものが一番濃厚です。』
パニック障害?何それ。
薬を貰う頃には、落ち着いていて、薬を投与しながら様子を見てまた診察に来て下さい。
今度はお母さん無しで来れるなら来てくれる?
と、言われた。
この先生なら全部話せるかも…
最後に言われたこの言葉で心療内科くらいは頑張って自分で行こうと決めて。
パニック障害のパンフレットを貰い、家に帰って読むと自分の事を書かれているかの様で
何故か安心した。
病気が分かると、凄く安堵した。
また涙が出てきたけど。
治したい!と思った。
2回目の心療内科。
周りが気になる予防として、深めの帽子に匂いが凄く敏感な私はマスクに音楽を聴くためのヘッドフォン。
待合室に1冊のノート。
手に取ってページを捲った。
『先生に出会ってよかった!』
『死にたかったけど生きてる』
『うまく今日は出来た!』
『また先生に話聞いてもらいたいです』
『今日は1人で来れました』
とても、ポジティブなものから悲痛な言葉が並ぶ。
みんな、何かと戦ってる。
私だけじゃなかった。
そのノートいっぱいに絵を描いてる人もいれば、手紙だったり、お気に入りの本を紹介してる人も。
家族の愚痴や、会社の愚痴。
先生や看護師さんが丁寧に返事までしてあった。
そんなこんなで名前が呼ばれて待合室。
前回、自分で言えなかった症状や気持ちを話す。
先生の部屋はかわいいアンティークの花柄のソファや、観葉植物、大きなPC画面、机の上にはかわいいフィギュア。
初診では全く気付か無かった景色。
家族構成から、身の上話、そんな話いるの?って思いながらも、何故か話したくなる。
パニック障害で間違い無いのと、ちょっと躁鬱もあるね。
鬱?!私が??
まだ病気あるの?!?!
100問くらいのアンケート用紙みたいなものも書いた。
『パニック障害』と『双極性障害』(躁鬱)
2回目の診断にて発覚した。
鬱って私には程遠いモノだと思っていた。
なんか、ガッカリというより、え?ほんまに?
と、疑いでしか無かった。
新しい抗うつ剤と、パニック障害の薬を処方してもらい帰宅。
ここから、出るわ出るわの精神疾患オンパレード人生始まります。
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