2024年4月10日
2024/04/10 07:34
作品に触れてニヤニヤする経験は誰にでもあるだろう。
ニヤニヤのポイントは人それぞれだろうが。
私の場合は「あぁこれ作ってる人がニヤニヤしながら作ったんだろうな」と感じると、ニヤニヤしてしまう。
肩書きが多いので割愛するが、宮藤官九郎が今私の頭に浮かんでいる。
彼が脚本を担当しているドラマの最新作を遅ればせながら視聴している。
ここでふたつお断りを。
まずひとつ、ネタバレはしないし作品名もここには書かない。
ふたつ、ここから先は敬愛の念を込めて「宮藤君」と呼ばせていただく。
脚本家として名を馳せて多くのテレビドラマを世に送り出してきた宮藤君。実は私の中での宮藤君はラジオパーソナリティーとしてのイメージが強い。
本人も制限無く肩書きを明記していいのならラジオパーソナリティを入れたいと言うほどに思い入れがあるようで、そのラジオパーソナリティである宮藤君が私の中での宮藤君だ。
とにかく自由に喋る。生放送番組だとちょっとしどろもどろになりつつ、話したいことが沢山あるんだ聞いてくれよとの気持ちが電波を伝って耳に届く。
そんな放送だからこそ、宮藤君自身が登場しない「彼の作った」作品から作り手である「彼」の意思を感じるとニヤニヤしてしまうのだ。宮藤君これ書きたかったんだね。というか出演者に言わせたかったんだね。伝わっているよ。
本人が直接訴えかけることは、表現のスタートだ。
恋人に愛していると伝えることも、電車で隣に座った人にイヤホンからの音漏れを注意することも。意思表示という表現だ。
生活にありふれた場面でも、その「人」が伝われば受け取り方はもっと広がるんじゃないだろうか。
口から出るどんな言葉も、作品にしていきたい。
2024/04/10 07:49
タイマーが鳴ったので今日はこれでおしまい。