「違うことは、美しい」 ー ちゃんみな 『美人』
最近初めて聴いて衝撃を受けた楽曲、
ちゃんみなの『美人』。
狂気と知性、怒りと激励、痛みと自信。
複雑で鮮烈なメッセージに鳥肌が立ち、
思わず泣いた。
「美とは何か」という疑問と、
ルッキズムへの強烈な違和感が、
叩きつけるように提示される。
それはわたしの中にずっと存在するテーマと、そっくりそのまま重なるものだった。
どんな答えもたぶん自分の外側にはないのだけれど、それでも「美とはなにか」というクエスチョンに対するちゃんみなのアンサーは、ひとつの答えとしてわたしに響いた。
この作品の何がそれほど響くのか、
書いてみたいと思います。
1.ちゃんみな -『 美人』 / THE FIRST TAKE
わたしが初めて聴いたのは、YouTubeのこのTHE FIRST TAKEバージョンの『美人』。
歌声も表情もしぐさも、すべてが圧巻。
彼女が歌い始めた瞬間、引きずり込まれた。
ほかのMVも観てみたけれど、わたしはこのアレンジバージョンが一番好き。
まずはどうぞ、観てみてください。
2.容姿への批判
この動画の冒頭、彼女はこう語る。
デビュー直後から始まった、容姿への批判。
その嵐はまだ10代だった彼女を打ちのめした。
あるインタビューで、彼女は当時のことをこんなふうに話している。
「わたしの見た目を馬鹿にされることで、わたしの歌声まで馬鹿にされてしまうんじゃないか、という怖さみたいなものがありました」
3.「美」への疑問と、ルッキズムへの強烈な違和感
容姿に対する批判へのストレスで一気に痩せたちゃんみなは、今度は一転、「綺麗になった」と言われるようになる。
そのことに、彼女は強烈な違和感を感じる。
「病的に痩せたのに、なぜ綺麗と言われるんだろう」
美とはなにか。
ルッキズムとはなにか。
その怒りと痛みとアンサーを込めて、
ちゃんみなは『美人』を作ることになる。
4.「初めて人を救いたいと思って作った曲」
わたしも中学生の頃、「ブス」と言われていた時期がある。
思春期の、まだ自分自身が確立する前に他者から向けられたこの言葉は、単に容姿だけでなく自分の存在すべてを否定されたように、当時のわたしには感じられた。
『美人』の中に出てくるこの歌詞は、そのことをよく表していると思う。
歌うことも発言することも笑うことでさえも、「ブスが」の一語で否定されることが、ときにある。
この一節を聴いたとき、当時の痛みが蘇り、わたしは思わず泣いた。
詳細は別の記事に書いたので省くけれど、
わたしもその後、急激に容姿が変化したことで周囲の態度が一変するという体験をする。
こうまで振り回される「見た目」とは一体なんなのだろうと、ルッキズムへの強烈な違和感とともに当時はずいぶん考えることになった。
「あなたは美しくない」という烙印を押されることの痛みに共鳴する人は、きっとたくさんいるだろう。
でもこの楽曲は、その痛みや自己否定の場に自分を留めることを許さない。
そこから先に進むよう、聴き手の背中を押す。
わたしにはこの歌詞は、
「世間の美の基準に追従するのはやめて、
ありのままで輝くお手本になりなさい」
「怖がるのはやめて立ち上がり、
あなたの中の傷ついた自分を救いなさい」
というふうに聞こえた。
うずくまるのではなく前に進むのだという、
強い激励のメッセージに聞こえた。
5.違うことは美しい
海外のファンも多い、ちゃんみな。
「人と違うこと」の痛みにまっすぐアクセスした表現は、さまざまな人々の共感を呼んだ。
「違い」は、繋がるためのキーワードになった。
「違うことに痛みを感じる」、そのことに共感し繋がった人々に対し、彼女は力強くこう伝える。
「違うことは、美しい。」
6.美しさは自分が決める
あるインタビューに答えて、ちゃんみなはこう語っている。
「わたしは、知識や知性に対して色気を感じます。美しさって、本当に見た目だけじゃない」
「なにを美しいと感じるかは、自分で決める。」
それが、ルッキズムへの、ちゃんみなのひとつの答え。
7.”God here I am”
曲の終盤。
全身全霊で叫ぶように祈るように歌われる、この歌詞。
” God here I am ”
(神さま、わたしはここにいます)
裸のままで神の前に立つような、
震えるような覚悟。
世間の求める「美」は、移ろいやすい。
太ったら、痩せたら、病んだら、老いたら。
そんなことでかき消されるようなものは、
本物じゃない。
ありのままの自分を認め、輝くこと。
ちゃんみなの『美人』は、自己否定の呪縛を突き破るようなエネルギーに満ちた作品だと思う。