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わたしたちは、似ている。
仕事を辞めたとき、同期の子が「お餞別に」と言って「T (彼女のイニシャル)文庫」と書かれたミカン箱くらいの大きさの段ボールをくれた。
開くと、文庫本がぎっしり詰まっていた。
* * * *
その職場はみな比較的仲が良く、わたしもみんなとよく一緒にごはんに行ったり旅行にでかけたりした。
でも彼女は、ほとんどそういうことをしなかった。
学生時代からの婚約者がいて、仕事が終われば彼と過ごすためすぐに帰ったし、いつも静かで正確な仕事をし、ひとりでランチを食べることを好んだ。
普段はあまり話さなかったけれど、ときどき仕事の相談をすると(わたしたちはある時期一緒のチームで仕事をしていた)、いつも的確で容赦のないアドバイスをくれた。
わたしはそんな彼女が好きだった。
職場を辞めることを決めたとき、わたしは上司に話すよりもまず先に、同期である彼女に話した。
なんとなく、そうしたほうがいいような気がした。
「話したいことがあるから、よかったら二人でお昼ごはん、食べない?」と、わたしは彼女をランチに誘った。
「うんいいよ」と彼女は即答し、わたしたちは職場近くの静かなイタリアン・カフェに行った。
ふたりきりでごはんを食べるのはそれが初めてだったので、わたしは少し緊張した。きっと彼女もそうだったと思う。
「仕事ね、辞めることにしたんだ」とわたしが言うと、彼女は理由を尋ねることもなく、「そうなんだ」とあっさり言った。
「うん」と返した後はそれほど話すことも見つからず、わたしたちは言葉少なにパスタを食べた。
そろそろ二人とも食べ終わるという頃、不思議と居心地の悪くない沈黙の中、ふいに彼女が「さみしくなるな」と言った。
「さみしくなるな。こんなこと言うともしかしたら嫌かもしれないけど、わたしはずっと、わたしたちは似ていると思ってた。」
驚いた。
わたしは、彼女とわたしが似ていると思ったことは一度もなかったから。
でも、似ていると言われて、自分でもびっくりするほど嬉しかった。
わたしがそう言うと、彼女は少し困ったように沈黙し、「お餞別、送ってもいい?」と尋ねた。
「うれしい」とわたしは答え、後日その「T文庫」が自宅に送られてきた。
* * * *
T文庫は、まるで魔法のようだった。
どれひとつとしてわたしが読んだことのない本で、名前の知らない作家のものもあった。
小澤征爾のエッセイ、農業に従事する男性の独白、本好きな日本人女性のイタリア生活の物語、くまのプーさん。
どれも、自分では選ばないだろう本ばかりだった。
そしてそれにも関わらず、どれもみなことごとく、そのときのわたしにぴったりだった。
なんの抵抗もなく心にすうっと沁み込んで、かつ新しい世界の扉が開かれるような、そんな本ばかりだった。
魔法みたいだ、と思った。
だって、こんなこと、ある?
もらった本が一冊残らず、自分にぴったりだなんて。
一冊ずつ、ゆっくり読んだ。何度も読んだ。
その本たちは、「わたしたちは似ている」という彼女の言葉を、どんな説明よりも雄弁に証明していた。
* * * *
わたしは本が好きなので、「なにかお勧めの本はある?」と聞かれることが、ときどきある。
そんなときは嬉しくなって、その人にはどんな本が合うだろうと、わたしはあれこれ考える。
でも、誰かのために本を選ぶのは、ほんとうに難しい。
本が好きな人は、自分の好みに合うものはすでにたいてい自分で見つけて読んでいるし、本が好きじゃない人は、そもそも「本」という媒体がその人に合っていないことが多いからだ。
わたしは彼女に、「本が好きだ」と話したことはなかった。
だからきっと、休憩時間にわたしが本を読んでいるところを、見ていたのだろう。
そのころのわたしにとって本は精神安定剤だったから、お昼休みのわずかな時間を見つけては、1分でも2分でも必ず本を開いていた。
でも、「なにを読んでいるの」と彼女から聞かれたことは、一度もなかった。
それなのに、彼女はなぜ、あんなにもわたしにぴったりな本を選べたのだろう。
本の好みを熟知している相手へのたった一冊の本を選ぶのでさえ、あれほど難しいというのに。
考えるたびに、いつも彼女の言葉に行きつく。
「わたしたちは、似ている」。
* * * *
彼女とはその後、4回会った。
彼女が結婚したときと子どもを産んだとき、そしてわたしが結婚したときと子どもを産んだときだ。
いつも、交わす言葉は少なかった。
ただお互いの赤ちゃんを、眺めたりした。
ただ、それぞれの人生の節目に、お互いなんとなく、立ち会いたかった。
* * * *
きっとこの先も、彼女と一緒に旅行に行ったりはしないし、悩みを打ち明け合ったりすることもないだろう。
普段は思い出すことさえない。
それでもわたしたちは、心のどこかで繋がっている。
きっと何年経ったあとでも、会えば居心地のいい沈黙の中、わたしたちは笑い合う。
T文庫は、いまでもわたしの宝物だ。
* * * *
お読みいただき
ありがとうございました。
どうぞ素敵な一日を!