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【真心ブラザーズ】幸福論を追求する哲学者YO-KING

2024年4月28日にこんなポストをしている。

YO-KINGは偉大な哲学者として後世名を成すのではないか。そんなふうに感じたきょうのライブ。中野から渋谷に場を変えても毎年変わらず楽しい。ずっと受け手であってもそれはたいへん幸せなことだ😆
#真心ブラザーズ
#MBs
#渋谷

中野サンプラザの閉館により場所をラインキューブ渋谷(渋谷公会堂)に変えて開かれた年に一度のお楽しみ、MB’Sとのお祭り(祝祭)である。サンプラザの懐の深い大空間から、ギュッとワキが締まったラインキューブに変わっても、あのどこまでもどこまでも開いていくような10人でのライブの開放感は変わらない。

真心を最初にライブで見たのはどっか都内の公民館だったと思う。1990年代初期。またバンド名にTHEが付いていた頃。「ねじれの位置」のアルバムでデビューし、3枚目のアルバム「あさっての方向」が出たばかりの頃、記憶違いでなければ1991年、後輩のH子ちゃんと一緒に出かけた。まだYO-KINGになる前の倉持陽一はいまと同じようにふざけていたけども、どこか寄る辺ない感じもあった。テレビの夕方の番組内のコーナー「勝ち抜きフォーク合戦」(たぶん)に出るために大学の音楽サークルの後輩だった桜井秀俊と組んだ冗談みたいなデュオ。いわばイロモノだ。だいたい80年代後期から90年代アタマあたり、バンドブームの時期は「フォーク」ってめちゃイケてない音楽の代表格だったのだから、世の中からノベルティ的なイジられ方をされてもやむなしのところがある。そんな居心地の悪さがあった。

YouTubeに上がっているけれど、たぶんまだ大学生か出たばかりかくらいの2人が、狂騒的な深夜番組の音楽コーナーに登場し、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」を歌っている映像がある。
https://youtu.be/uBGFd7g5BBg?si=-b6fGU4bB4SZ60pw
今ならコンプラ的にアウトな水着のお姉さんが後ろに並んでいる中、ヨーキンになる前の倉持はいささか貧乏くさくもあるブルゾン姿でスタンドマイクの前に立ち、エレキギターを抱える。そしてあの強くて太くてまっすぐ届くあの特異な地声で「恋人よー僕はたーびだーつー!!」とかがなるのだ。

後に椎名林檎が2枚組のカバーアルバムで同曲を取り上げ、まったく曲のパブリックイメージをひっくり返した事案があった。田舎で彼の帰りを待つ純朴な、垢抜けない女の子の歌が、椎名林檎の巻き舌によって、わがままで自分勝手で軽い田舎出の最低男のあくどい幼児性が発露した歌に変貌していた。男という生き物についての冷徹な批評と、ありていに言うなら女子から男への度し難いほどの憎しみがそこにはあった。言うなればパンクだよ。マイ・ウェイを歌ったシド・ビシャスみたいでもあった。

その何年も前に倉持は、この曲を深夜のテレビでかみつくように歌うことで、松本隆の手によるロマンティックにすれ違っていく男女の悲劇を、ヘラヘラしてダサい、ダサいけれども意味のわからない未来もわからない20代の強気とバカっぽさ、それ故のミソジニーさえ匂うパンキッシュな曲に解体していた。いや、性別で大括りにして批判しているのではない。個人、馬鹿な個人を馬鹿だとそのまま歌っているわけだ。そして聴いている我々も「自分が思考停止の馬鹿」であることを悟る。

この曲をなぜ選びテレビで歌ったかは寡聞にして知らないが、ヨーキンが歌う歌詞の中であの田舎の女は、ただ単に愚鈍でわかってないダサい女になっちまっている。それは椎名林檎が男どもに振り向けた憎しみと対照的に対を成す、安住する女の愚かさに苛立つ男のパンクだ。

先を急ぐ。H子ちゃんとはあっけなく別れ、そんなこととは関係なく真心は「キング・オブ・ロック」「グレートアドベンチャー」を経て完全にファンクでソウルでロックな大御所バンドにのし上がっていく。98年4月リリースの「I will survive」を引っさげてお台場で真夏にソロの屋外ライブを敢行した。まだ建物がまばらな埋め立て地の空き地にでっかいステージがつくられ、バックステージの向こうをゆりかもめが行き交い、その向こうにフジテレビが見えた。観客はうちわをもらい、そのうちわは今も家にある。27年前。一緒にいったNちゃんはもう持ってないだろう。私は物持ちがいいのだ。

いまホーン隊と内海さんらが入るMB’S形態でやるセットの骨子はこの辺で出来上がったのではないか。大きく胸襟を開いてソウルフルでファンキーで青春で多幸感あふれる曲たち、ソリッドに縦に切り込むギターにYO-KINGの強い声が絡むハードロックなナンバー。アコースティックギターで奏でる優しく思慮深いフォーキーな曲たち。振れ幅の大きい楽曲を力技でつなげ、得も言われぬ爽快感を醸すステージは、「古い」とか「新しい」とかのつまらない言説とは無縁だ。ステージでやられえ続ける限り音楽は古びない。YO-KINGの声がそれを教えてくれる。

99年夏のアルバム「GOODTIMES」に入っていた「突風」を武道館の1階スタンド最前列センターで聴いた。ほんとうに、大風が顔面に塊になってぶつかってきた気がした。でもこの日のライブを境に、音楽好きのNちゃんとは疎遠になっていく。そして真心とも縁がしばし遠のく。CDは買っていたんだけど、それほど聴き込む感じではなくなっていく。

個人的には同棲から結婚をし、子供が生まれ、あわあわと育て、そのうちに神戸に飛ばされ、3年で戻り、といった日々の中で、中野サンプラザのMB’Sが視野に入る。家族3人で毎年春の楽しみになって7〜8年か。ことしも4月のチケットを獲得した。

真心の何がいいのか。曲がいい。もちろん。声がいい。そりゃそうだ。バンドがかっちょええ。それはもうホント。桜井さんズッコケが微笑ましい。まさにそれ。でもそれらと並ぶようにあるのがYO-KINGの「思想」だ。一聴してライフハックみたいなんだけど、実はものすごく深い。「自分を機嫌よくさせておくのは何より大事」といった前向きのパワーは、「あなたも僕も大して変わりはないのさ」といったズバリとぶっ刺すナイフのような歌詞は、こんな世の中で生き抜いていくためのまったき真理のように響く。宗教の集会のようなポジのパワーをもらって帰ってくる、いつも。

YO-KINGはおそらく宗教家になっても名を成したに違いない。後世の哲学研究者はYO-KINGの発言を21世紀前半を代表する哲学的思考と受け止めるに違いない。

健康でいつまでもステージシャウトして、MCではどうしようもなくボケて、その中に生きる真理を滑り込ませてほしい。真心とはよくぞ付けたりなバンド名だよまったくホントに。

2025/01/11

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