![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/153526892/rectangle_large_type_2_7a330721063ebf422005edad185608f8.png?width=1200)
西へと向かう中央線、よく聞こえない丸ノ内線
東京都新宿区に長く住んでいて、きょうみたいに静まり返った深夜、なにもすることもなくただ起きていることがある。窓の外はマンションの黒い稜線に切り取られたプラネタリウムの円周のような紫がかった空。昼間は暑かったとはいえもう9月。夏の背中は日に日に遠くなっている。
そんな深夜に夜空を駆ける銀河鉄道のような曲がある。THE BOOMの「中央線」。1990年7月リリースのアルバム「JAPANESKA」収録の佳曲だ。夏の終わりのような涼やかな空気をまとったフォーキーなバンドサウンドに乗せて、宮沢和史が歌う。東京の夜空いっぱいにエコーが広がるように。流れ星を目にして思い出す、いなくなってしまった彼女。
逃げ出した猫を探しに出たまま もう二度と君は帰ってこなかった
いまごろ君はどこか居心地のいい 街を見つけて猫と暮らしてるんだね
走り出せ中央線 夜を越え 僕を乗せて
中央線は新宿駅を出ると高架になり、左にカーブを描きながらまっすぐ西を目指す。だから猫が住みやすい彼女の街は西の方角にあって、僕はその街に行きたいけれども行くことができない。武蔵野は広い。
西に向かう中央線(緩行線でも快速でもいいけど、んー、どっちかな)が夜空を駆ける。温かな車内の明かり。ロングシートに身を沈めてレールの振動に合わせて揺れる乗客たち。南の空を横切るそんな車両をぼんやり眺めていた自分は、いつしかその電車のシートに腰掛けて、窓ガラスに映る自分の顔を眺めている。車内は静かで、話す者はない。彼女と猫と僕。唐突に壊れる前の3人の生活に、あの、小さなバスタブに砕いた流れ星を浮かべるような、切実で大切な生活の場となる新しい部屋に、もしかしたらこの中央線が運んでくれるかもしれない。
フォークグループ「猫」には「地下鉄に乗って」という小品がある。1972年12月発売のアルバム「猫」に収録されている。作詞岡本おさみ、作曲は吉田拓郎。
70年代って、いまから想像もつかないくらい、乱暴で雑な時代だ。タバコや空き缶はポイ捨てられ、猫の死体は放置され、エアコンなんて地下鉄車内になく、窓を全開にして赤い電車はトンネルを突進していく。車両は赤く塗られている。丸ノ内線だ。
カップルか大学のクラスメートか、とにかく一組の男女が丸ノ内線で移動している。赤坂見附から四谷を過ぎて。新宿まではもう少しかかる。
列車の車輪が線路を擦る轟音が窓から間断なく飛び込んできて、口元に身を寄せても彼女の話していることがよく聞こえない。地下鉄車内はディスコミュニケーションの問題を抱えている。
ちゃんと話したい。だから四谷三丁目か新宿御苑前あたりで途中下車してしまおうか。そんなちょっとしたよこしまな企みを彼女の耳元に送り込む。聞こえないのか、そのふりをしているのか、彼女の反応はない。
次の駅で降りるよ
君ももちろん降りるんだろうね
でも君はそのまま行ってもいいよ
甲斐よしひろのNHKの番組「サウンドストリート」でこの曲がかかったとき、自分は思わずずっこけた。そのまま行かせちゃうんかい。まあでもそういう時代だったんだろう。
自分が乗っていても、去りゆく列車を線路脇で見送っていても、都会の電車はたくさんのコミュニケーションを乗せてきょうも走っている。車内で刃物を振り回したりする人がまたいない時代の電車の中は、駅と駅の間は、社会の縮図であり、短編映画の冒頭やクライマックスであり、そして列車は、乗客以外に「希望」をも乗せて走っていたのかもしれない。andymoriが人身事故を歌にする少し前までの時代の話でした。
2024/09/08